……めずらしく、シリアスな過去を夢で思い出した、ような気がする。
過去に影のある男ってかっこいいよな。ナイス俺。
眼を開けてみると、照明で琥珀色に照らされた天井があった。
意識に絡み付く眠気を振払い、身を起こした。額に乗っていたと思しき氷嚢が転がり落ちて、少量
の水滴をまき散らした。幾何学模様のあしらわれた長椅子に横になっていたようだ。
「いでっ」
頭と体が、心臓の鼓動に合わせて痛む。どれくらい痛むのかと言えば、「ぐわんぐわん」とか擬音が付きそうなほどだ。
猛烈に寝違えている。やれやれ。
ここは……多分、テツヤ師の洋館の一室だろう。重厚な暖炉に、ふかふかの絨毯に、複雑な意匠の机。しょぼくれた外観とは裏腹に、部屋の中はなかなかそれっぽい。
窓から外の風景は、すっかり夜の中に没していた。俺、何時間眠ってたんだろ。
絨毯に落ちた氷嚢を拾い上げる。どうも気を使わせてしまったようだ。
ちょっと額に触れてみ「ふぉ……ご……ッ!?」
……痛い。おでこに火の玉でも埋まってんじゃないのかと思えるほど。今更、テツヤ師に空中から打たれた事を思い出す。絶対瘤になってるなぁ、こりゃ。
痛みが落ち着くまで黙って耐えた後、肩を動かし、欠伸。屈伸。
そして溜息。
――完敗、だった。
完全に。完膚なきまでに。
同じ土俵に立つ事すら出来ずに。
予想を遥かに上回る、圧倒的な戦力差……いや、そんな言葉すら生温い。
次元が違うのだ。間違いなく。
なんだったんだろう、あれは。
こちらが何か動作を始める前に、テツヤ師の回避は行われていた。しかもその挙動は捉え所がなく、いつ移動したのかすら認識できなかった。あまりにも不可解に過ぎた。
何故そんな事が起こりうるのか、想像もつかない。相手の心が読めるとか、未来の事がわかるとか、そんな馬鹿げた説明しか思い浮かばないのだ。あと勘とか。
これがわからないのでは対策の立て様もない。
肩を落とす。
とにかく、すっかり遅くまでお邪魔をしてしまったようなので、一言挨拶を入れてから帰るとしよう。
扉に歩み寄ると、いきなり向こう側から開け放たれた。
激突。
「ディアスっ、まだ寝ている?」
直角に尖ったカドが……カドが!
「あ……だ、大丈夫?」
タンコブ痛打。銀河明滅。死んだ爺ちゃんこんにちは。魂が体から閉め出されそうになり、姿勢がゆっくりと仰け反ってゆく。背中から床に倒れ掛かる痛みが、ひどく遠い。
俺は、眼の焦点も定まらぬままぼんやりと前を見る。あ、誰かいる。よーな気がする。よくわからない。幻? 夢? みんなで肉体の檻から脱出しようよ。解脱しようよ散華しようよ。え、夢? ひどく、暗いよ。明るいよ。
あ。
「……綺麗な、光……」
「わぁぁっ、ディアス! そんな危ないうわ言を聞いて私はどうすればいいんだ!」
溶けてゆくような酩酊感の中、がくがく揺さぶられる感覚が、霧散しかけていた意識をディアスの形をした鋳型に押し戻した。
「あー……あ?」
ぼやけ彷徨う二重写しの視界がようやっと重なって、はっきりとした像を結んだ。目の前には女の子が一人、しゃがみ込んで俺の顔を覗いていた。昼間の胴着ではなく、暖色系で統一されたブラウスとスカートの洋服姿だ。
「やぁ、アヤカ。切羽詰まった顔してどうしたんだい?」
彼女は一瞬呆れたように俺を見ていたが、やがて一息吐いた。
「おかえり、ディアス」
揶揄混じり。
俺は脳にまとわりつく霞を振払うために頭を軽く叩きながら立ち上がり、ふと湧いた疑問を口にする。
「って、アヤカ、君は家に帰らないの? もう遅いけど」
「あぁ、他の子達はとっくに家に帰っている。ディアスには言ってなかったのだったな」
アヤカは続けた。
「実は私の家はここなんだ」
「……へ?」
「両親がジン先生と縁があって、住み込みで学ばせてもらっているんだ」
「へぇ〜……」
そりゃまたずいぶんと奔放なご両親で。
もう少し詳しく聞こうと、俺は口を開きかけた。
「それよりディアス! えっと、これからどうするんだ? その、立ち会いはもう終わったようだが」
だが俺が言葉を発する前に、彼女はまくしたててきた。勝敗については触れないあたりにちょっと気遣いを感じる。
思わず手が頭を掻いた。
「そ、そうだねぇ……あと二人ほど立ち会ってみたい人が近くにいるから、もうしばらくはこの町にいるつもりだけど?」
「本当?」
アヤカは爪先立ちをし、なにやら華やいだ表情で顔を『ずぃ』と近付けてくる。
「あぁ」
俺はちょっと仰け反る。
「本当に本当?」
さらに『ずぃ』。
「う、うん」
なんか前もこんなことあったよなぁ……。
「じゃあ」
アヤカは唐突に満面の笑みを浮かべ、
「じゃあじゃあじゃあじゃあ! その間ディアスはここに泊まるというのはどう?」
そんな事を言った。
「いやぁ、そこまで迷惑かけちゃ悪いよ。それに……」
「どーせその様子だとまだ今夜の宿も取っていないのであろう? 土地勘はあるのか? このへん住宅地ばかりだぞ?」
「う」
一瞬言葉に詰まる。
「はい、決定」
ハンコを押す時のような口調。
「おいおい……」
俺は言い返そうとして、はたと考えてみる。確かに有り難い申し出には違いないが。
うーんむ……。
「じゃぁ、テツヤ師がいいって言うなら、泊まろうかな」
「本当? やったぁ!」
少女はぴょん、と跳びながら後ろに体をむけ、振り返ってこちらに顔を見せた。傘のように広がったスカートが、一拍遅れで元に戻る。してやったり、と言いそうな感じの笑顔を浮かべている。
「そういえば、ジン先生はディアスが寝ている間に『競馬仲間と飲みに行く』とか言って出かけていったな」
「んな!?」
愕。
アヤカは俺が何も言えないうちに、
「お風呂は庭の向こうの離れで、トイレと洗面所はここの玄関の脇だ。部屋は無駄に余っているから好きな所を使ってくれ。晩御飯は……そうだな、今晩は出前でも頼もう」
「あー……うー……」
剣豪殿、あんた保護者失格。
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