製造、精練、白兵、白刃。装甲機動歩兵、抜刀突撃。
 支配者、国粋、主義主張。盲信、狂信、勝算、打算。
 制圧、征服、蹂躙、啓蒙。地対空兵装、個人携帯式。
 長距離戦略核抑止力構想。均衡、決壊、崩壊、破壊。
 撃墜、撃沈、撃破、撃殺。血、泥、咆哮、絨毯爆撃。
 民衆、戦争、讃美、激励。我は真なり、我は義なり。
 かつてあり、今もつづく。すなわちそれは大いなる。

 ――現在は、黎明なのか黄昏なのか。
 世界は“それ”を契機に安定を欠いた。現在では旧世紀と呼ばれている“それ”以前の時代は、現在の様相とはまるで違っていた。今のように戦争讃美的な空気はなかった。戦場に立つ兵士達は、剣ではなく機関銃を携えていた。狡猾な思惑による平穏が世界を戒めていた。
 “それ”が起きたのは、ちょうど七十年前。《終末の大戦》末期の事だった。
 具体的に何があったのかは、今もって誰にもわからない。
 沢山の人が死んだと言う。
 凄惨を極め、全世界を戦火で包んだ《終末の大戦》を、さらに数倍する人数が。
 現代において、“それ”は『理の崩壊』と名付けられている。あくまで便宜の上で。
 経済は破綻した。技術は衰退した。解体し、大国に吸収された国家も多かった。だが、カタストロフが発生すれば当然起こりうる事態だろう。変な言い方だが、常識の範疇の出来事だ。それだけならば、あるいは隕石衝突か、なんらかの戦略兵器による大破壊と説明されていたかも知れない。
 幾年か経ち、世界が落ち着きを取り戻し始めた頃。人類は、己の肉体に起きた奇妙な変異に気が付いた。
 正確には、『理の崩壊』以降に誕生した世代の身体に起きた異変だった。
 出生率の大幅な低下。
 ベビーブームが去ったなどというレベルではなかった。時期的に『理の崩壊』となんらかの関わりがあるのでは、と推察されたが、原因はまったくの不明であった。さらに年月が経ち、その現象が一過性のものではない事に統計学者達が気づいた時、人類は緩やかな滅びの道に直面 させられた。
 ――現在は、黄昏だった。
 そして、変異はそれだけではなかった。
 旧世紀においては、筋力の限界、というものが存在したらしい。どれだけ体を鍛えても、それ以上は強くなれない物理的な限界。だから、当時は機関銃や戦車などの身体能力に頼らない兵器が戦争の主役であったようだ。
 そこへきて、『理の崩壊』。
 一体その災害の何が作用したのか。人類は箍が外れたように、鎖を引きちぎったように、重荷を捨てたように、当時の感覚からすれば想像を絶する敏捷性を手に入れた。
 ただ――
 はっきり言って、それが何なのだろう。その力が何の役に立つのか。銃弾をもかわせる身体能力が、世界規模の戦争や大破壊からの復興に貢献するのだろうか。
 出生率の低下と、筋力限界の消滅。
 この二つの変異は、親から子へ、子から孫へ、世代を超えて現れる形質だった。ゆえに遺伝子レベルでの変異と目されているが、その原因が放射能なのか化学物質なのかウィルスなのか――はたまたまったく別 の因子によるものなのか。それを解明するには、現在の遺伝子解析はまるで足りていないと言えた。
 それが、現状。 


 今から二年前、西洋のど真ん中で、リギシュとゼルドラの戦争が勃発した。
 当時、ゼルドラで機甲歩兵隊に所属していた俺は、合理を追求した軍用剣術を徹底的に叩き込まれ、精鋭気取りで粋がっていたものだ。より速く剣を振るい、より早く敵兵を殺める事ばかり考えていた。どちらが戦争に勝とうが、どうでも良かった。
 誘崩壊斬撃が相手の武具だけを粉砕する事は、むしろ少なかった。剣を砕き鎧を砕き服を砕き皮を砕き血を砕き肉を砕き骨を砕き臓を砕き。
 良心の呵責なんてなかった。
 加農砲も榴弾砲も迫撃砲も機関砲も、話にならない遅さだった。『理の崩壊』以降の陸上戦闘において、訓練された歩兵の機動を捉えられるのは同じ歩兵だけなのだ。俺達の部隊は敵兵を斬って斬って斬りまくった。俺達は世界に並ぶ者のない精鋭だ、と本気で信じていた。
 黒衣の一団と戦った時、俺の思い上がりは粉々に打ち砕かれた。
 彼等が用いたのは、“戦術”ではなく“武道”だった。一人一人があまりに高い戦闘能力を振るい、完全に統率の取れた作戦行動で巧みに俺達を追い詰めた。
 特務戦術遊撃隊《黒翼の刃》。
 電脳に統制される特殊多機能剣を携え、特徴的な黒いスーツで身を包んだ、リギシュの黒き大嵐。世界で最も無機質な死の体現者。
 彼等のせいで、俺は前線から退かなければならなくなった。
 彼等のおかげで、俺はやっと前に進む事に気づく事が出来た。
 世界の広さを実感し、軍剣術の限界を思い知り、幼稚な殺人衝動の哀れさを啓蒙された。
 その時から、俺は。


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