その後、12人程の相手をこなした俺は、庭園の隅のベンチに腰掛けていた。少年達の中にはアヤカに比肩する実力を持った者もいたりして、歯応えのありまくる時間を過ごしたものである。
 はっきり言って、滅茶苦茶疲れた。腕痛いし。
 年端もいかない弟子達でこれなのだ、剣豪殿本人の実力は想像を絶するのではないだろうか。
 ……いや『想像を絶するのではないか』と想像した時点で想像を絶してないような気もするがそんな事はどうでもよく。
 橙色の夕焼けに染め上げられた稽古場では、まだ少年達が竹刀で打ち合っている。時々きゃっきゃと笑い声が聞こえるあたり、稽古というよりはじゃれ合いだが。
「元気だなぁ……」
 お兄さん、もうクタクタだよ……。
「本当。男の子は体力あるのだなぁ」
「どぅわっ!?」
 かなり慌てて横を向くと、すぐ傍にアヤカがちょこんと腰掛けていた。膝の上には、あの不釣り合いな大太刀が威容を横たえている。
 こ、この俺が3度も接近されているのに気付けないとは……。
「さっきのお稽古、打ち合って始めてわかったけど、驚いた。ディアスは強いのだな」
「……おいおい、強いと思ったから稽古を頼んだんじゃないのか?」
 問われて、アヤカは軽く頬を掻いた。
「いや……実は、強いか弱いかはあまり関係なかったのだ。ただ先生に、帯剣した客が来た時には稽古をつけてもらうよう頼めと言われていたのでな……」
 すこしバツが悪そうだ。
 ……なるほどねぇ。
 俺にはジン・テツヤ師の言い分がわかる気がした。おそらく、あらゆる武人から技術を盗めるだけ盗み、流派にこだわらない柔軟な感性を育てようとしたのではないだろうか?
 にしても、その御師匠はいつになったら帰ってくるのだろう……?
「おや?」
 その時、何かに気付いたように、アヤカがベンチから飛び起き、トテトテと歩み寄ってきた。
「な、なに?」
「その刀剣、もしや……」
 彼女は、俺が横に立て掛けている一対の剣にそろそろと手を伸ばし、柄に手を掛けようとした。
「あ、あぶないあぶない」
 俺は慌てて剣を取り上げた。普通の剣なら、ここまで過敏に反応しはしない。
 これは特別なのだ。
 少女は少し驚いたように眼を瞬かせた後、素直に手を引いてくれた。
「あ……すまない。少し気になったものでな。……その刀剣、もしやあの高名な刀匠アーブラスが鍛えた業物ではないのか?」
「へぇ、よくわかったなぁ」
 正直、驚いた。
 確かにこれは、稀代の天才刀鍛冶と讃えられる、アーブラス・ライビシュナッハが二刀流用剣として鍛えたものだ。焼き入れと炭素の添加が施され、幾度も研ぎ澄まされたブレードは、信じ難い事だが結晶方向が完全に揃っている(……らしい)。
 いわば、単分子剣。
 不用心に触れれば、少女の細い指など抵抗もなく切り落とされてしまうのだ。
 当の少女は、少し得意げに胸を張った。
「今どき、グリップに革が巻かれている刀など、骨董品か、名工のハンドメイドくらいのものだからな。アーブラス師かどうかは、ただの勘だ!」
 いや、胸張って言う事じゃないぞ、それ。
 彼女は子供のように(子供なんだが)眼を輝かせていた。さっきまでとは対照的な、年相応の無垢な表情だ。
「すごいなぁ……。銘はなんと言うんだ?」
 名のある刀鍛冶が鍛えた業物には、しばし制作者自身によって銘がつけられる。
「あぁ、《ケゼフ》と《マシット》。死を司る天使の名さ」
 自然と口元が弛んだ。やっぱり、レアな武器を自慢できるのは悪くないものだ。
 ちなみに、どっちが《ケゼフ》で、どっちが《マシット》なんだか、さっぱりわからない事は内緒だ。
 ……同じデザインなんだから仕方ないだろ。
「天使の名か……よい銘だなぁ」
 そう言うと、何かに気付いたかのように小さく息を飲んだ。
「もしや、アーブラス師から直接譲り受けられたのか?」
 俺が「まぁね」と答えると、
「凄いではないか! あの御仁が無償で譲り渡す程に腕を見込まれたのなら、ディアスは相当高名な剣士なのであろう!?」
 俺は苦笑した。
「とんでもない。あの人から見れば、この双剣も失敗作の内さ」
 これは、何の謙遜も交えない事実なのだが、アヤカは体全体で否定の意を表現した。
「そんな事はないぞ! ディアスは十二分に強い。少なくとも、失敗作を渡させる程弱い訳はないぞ。ディアスの剣を実際に受けた私が言うんだ、間違いない」
 ちょっと怒ったように言うアヤカ。
 小さな女の子が精一杯肩をいからせて怒っているのだから、絵的にはイマイチ迫力に欠ける光景なのだが、何故か焦ってしまう。
「ま、まぁ、確かに剣術の自信はそれなりにあるけれど……」
「取って付けたような口調だな」
 ……速攻で突っ込まれてしまった。
 ジト眼で。
 俺は乾いた笑い声と共に、不利な話題を変える為に視線を下に向けた。
「そ、それにしても凄そうな刀だなぁ、それも」
 視線の先には例の大太刀。鞘に納まっている姿は、さながら眠りに付く竜を思わせる。
 それを膝に抱えるアヤカは、なんだか竜を手なずけているようだった。
「ああ……そう、かな」
 アヤカはゆっくりと顔を俯かせた。
「やっぱり、真剣なのかい?」
「……うん」
 答える声が、何故か堅い。
 俯いた顔に眼を向けると、何かに耐えるように口元を引き締めているのに気付いた。
 う……これはマズい。何がマズいんだか判らないが、かなりマズい。
「ご、ごめん。俺、嫌な事聞いた……のかな」
 少女はハッと顔を上げた。
「いや、いいんだ。気にしないで欲しい」
 困ったような笑顔を見せてくれた。
 どこか、痛々しかった。
「刀身、見てみる? 結構凄いのだぞ」
 既に元の口調に戻っている。こんな刀など何でもない、と言うのか……?
 アヤカは柄にほっそりとした指を添えると、スッと半ばまで引き抜いた。
 露になった刃に宿るモノは――
「……美しいだろう?」
「驚いた、な……」
 世のあらゆる金属とも異なり――
「これは……特殊軽量精錬鋼でも、黒甲重金でも……ラヴァン聖鉄でもない……?」
 あたかも鏡面のような――
「ヒヒイロカネ。ユミシマ東北地方でしか産出されない、天然の稀金属……だ」
 透き通っているとさえ思わせる、柔和で鮮烈な――光。
 光、そのもの。
 神々しい輝きとは、きっとこういう事を言うのだろう。
「すごい…………これは……どこで……?」
 うわ言のように俺は呟いた。
 わずかな沈黙の後、答えるようにアヤカの口が何ごとかを呟いた。
「……え?」
 俺は刀身から目を離し、アヤカを見た。
 彼女は勢いをつけて立ち上がる。
「さ、ジン先生が帰ってくる前に畳みを片付けなくては!」
 快活な口調でそう言い、パタパタと駆けていった。
「今、何て……?」
 俺の問いは、アヤカの小さな背中に到達する前に、空しく霧散した。
 いや、本当は聞こえてはいたのだ。ただ、それはあまりにも突拍子もない返事だった。
 だから、一瞬理解ができなかった。


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