7、悪意が黒き衣を纏い

「神父様、神父様、一体私はどうすれば良いと言うのでしょうか」
「神父様、神父様、どうか私をお導き下さい」
「神父様、神父様、私の冒した罪の是非を主に問うて頂けませんか」
「神父様、神父様」
「神父様、神父様」
「神父様――」
 ふぅ、と軽く息を吐くと、神父は大きく伸びをした。
 やっとこさ迷える小羊の一団は帰路についていった。
 罪の告白を聞いてやるのも、想像ほど楽ではない。
 神父は皺だらけの顔を撫でる。
 すでに闇も深い。
 天然の陽光が届かない第七天上世界にも、陽光パネルを用いた人工的な昼と夜は存在するのだ。
 今日はもう、懺悔を求める信徒達は来ないであろう。
 自分はこの下層居住区で、幾多の信者を罪悪感や迷いから救ってきた。それほど長い時間ではないが、とても有意義な仕事だと思える。もともと人当たりの良い方であったので、ほとんど愚痴のような懺悔に耳を傾けるのも苦痛ではなかった。
 近所の人々は好感を持って接してくれる。度重なる寄付金に、少々肩身が狭い思いをしているが、概ね良好な関係だ。
 このまま安穏と余生を過ごせれば、それはきっと素晴らしい事なのだろう。
 決して叶う事のない思いだが、憧れを抱く事くらいは神も許してくださる。
 彼は懺悔室の四隅で揺れる蝋燭の灯火を消そうと、億劫な動作で立ち上がった。
 古びた木製の扉が開く音がした。
「ぎぃ〜」
 ……何故か人の声でその音が現される。
「こんばんわー」
 少しだけ開いた扉から、顔を出したのは若い男だ。迫力のある三白眼に薄笑いを浮かべている。
「ここ、まだ営業時間ですかねぇ?」
「ここは神の家です。いかなる時間にも万人に開かれていますよ」
 神父は『営業時間』と言う言葉に苦笑しながら、古びた椅子に座り直した。
「さぁ、どうぞこちらへ」
「こんな時間にすいませんねぇ」
 へへへ、と灰色の頭髪を掻きながら、男は懺悔室に入ってきた。
 全身が神父の眼に写る。
 黒のスーツに黒のロングコート。黒の革手袋まではめている。
 見事なまでの黒尽くめ。
 体型はコートに隠れて良く分からないが、とりあえず長身だ。
 男は断わりもせずに神父の向かいの椅子に座ると、ニヤニヤ笑いながら頬杖を突いた。
「神父さん」
「はい」
「俺の悩みを聞いてくださいなぁ」
 密かに、神父は心中で軽く溜め息をつく。
 ここは己の罪を神に告白する場なのである。
 確かに、置いてあるのはテーブルと椅子二つと燭台四つのみであり、懺悔室特有の互いを隔てる窓口は存在しない。
 しかしだからと言って人生相談の場所になった覚えもないのだが。
 まぁ、こういう訪問者は最近では珍しくもない。
「実はですねぇ、俺最近狙われてるんですわぁ」
「狙われている、とは……?」
「ええ、ナチュラルキラーっぽい集団にねぇ、たびたび襲われてるんですよぉ」
 神父も、新聞は毎日読んでいるが、そんな話は聞いた事がない。
 いや、あることはある。ただ、それは――
「それは……どういった方々なのですか?」
 口先で男への受け答えをしながら、そんなはずはない、と己の考えを打ち消す。
 ――もしそうだとして、何故この男は今生きているのだ。
 『彼等』が標的を取り逃がす事などあり得ない。
「あ〜、なんかねぇ、無表情でさぁ、出会った途端にテッポウ撃ちまくりやがるんですよ。いや、怖かったのなんのって……」
 神父は眉を潜め、少々身構えた。
 この男の話と、『彼等』とは確かに似ている。
 ――やはり……まさか……しかし――
 まとまらない思考が去来する。
 男は「く、く、く」と喉の奥で笑った。嘲るように。
 端整な顔だちが歪み、三白眼はギラギラと光を放った。
 一体何がおかしいのか。
「あんまりしつこいもんだからさぁ……」
 男の笑いが顔全体に広がった。
「……全員殺してバラして刻んじまったァ……」
 く、く、く、く、く……
 それは悪戯な少年の笑みであった。
 く、く、く、く、くく……!
 同時に悪鬼の笑みでもあった。
 くくっ、く、く、くっ! くくくっ!
 掌を顔に当て、楽しくて仕方がないと言うように全身を震わせる。
「ハ! ハ! ハ! ハ! ハ! どう思う? どう思う? 俺の所行をどう思う!?」
 歌うように言葉を紡ぎ、バンと机を掌で叩いた。ただそれだけで破砕音と共に手形のへこみが出来上がる。
 微かに木屑が舞った。
 ただの人間の膂力で成し得る事ではない。
 黒衣の男は身を乗り出して顔を近付けてくる。
「カミサマは俺を許してくれるかなぁ〜?」
 急に小さく猫なで声。
 神父は呻くように言霊を吐く。
「……あなたが仮に人間であれば、一におわす神は全てを赦されるでしょう……」
 黒衣の男は歪な笑みを一層深くし、シェァ……と熱い呼気を漏らした。
「……しかし、仮にあなたが魔性であった場合……」
 神父は、男の呼気と同時に発生した闇の瘴気を感じ取り、嫌悪に身を震わせた。
「……現世での救いは、もはや望むべくもありません……!」
 言葉と同時に腕を打ち振るい、一閃。
 腕は一瞬にして高熱を纏い、じゅ、と何かが蒸発する音がする。
 だが、赤熱する肱は黒衣の魔性を捉える事なく振り抜かれていた。
 結果として残ったのは、赤く赤く爛れた机だけ。
 魔性の薄ら笑いを確認するまでもなく、神父――黄道十二宮天使カンビエルは、老人の姿からは想像できないほど俊敏に立ち上がった。
「私はユノ教会の忠実なる使徒! 聖女猊下と告死天使カフジエル様の命に従い、あなたを討ち滅ぼします!」
 そして正面から魔性を睨み付ける。
「ハ、やっと殺る気になりやがったか。ええ? イカレ天使よォ」
 男は懐に手を突っ込むと、銃底が異様に分厚い拳銃を引き抜く。
 カンビエルに銃器の詳しい知識などないが、とりあえず口径は大きいようだ。
 己の身が射線に入らない内に、カンビエルは斜前へ身を踊らせた。
 直後に拳銃が続けざまに咆哮を上げる。
 弾丸の纏う熱気が体の側面をなぶった。
 カンビエルは抜き手に構えると、音を立てて収縮する筋肉を爆発させて突進する。
「く、く、ちゃんと躱したな。お利口だァ!!」
「……あなたに神の救いあれ!」
 強く踏み込み、焼けた鉄に等しい拳を突き出す。
 空を斬る感触。
 相手は微かに首を傾けただけだった。灼熱が灰色の髪を微かに焦がしたが、それだけだ。
「ハッハァ!!」
 魔性は旋回しながら横手へ跳ね、そのベクトルを利用して長い脚を振り上げる。
 奇妙な後ろ回し蹴り。
 あまりに重い打撃音と共に、臓物の潰れる感触が腹の中で弾けた。
 衝撃で体が中を舞っていた。舞いながら血を吐いていた。吐きながら呻いていた。
「ぐお……っ!」
「おぉ〜っと!」
 空中で男が神父の襟を掴んだ。
「吹き飛ぶ前にィ……」
 悪意に満ちた形相。
 魔性は鞭のように腕を撓らせ、限界まで振りかぶる。
「……もっかい喰らいなァ!!」
 大仰な動作でカンビエルの鳩尾にストレートをお見舞いした。
 甲高い破砕音。
 天使の強固な肋骨が砕ける音。
 体が折れ曲がり、石の壁に激突。蜘蛛の巣状の亀裂が発生し、バラバラと石片が肩に降り掛かる。
 鈍く、重く、巨大な痛みに消えかける意識の中。
 その直中で、わずかに残った理性が必死に現状分析に努める。
 男の格闘センスは圧倒的だった。
 拳や蹴りに内在するエネルギーそのものは、通常の魔性と変わらない。
 むろん、それとて超人的な身体能力には違いないが、少なくとも黄道十二宮天使の骨格を砕くほどのものではない。
 だが、この黒衣の男は違う。
 身のこなし。重心の作用。接触のタイミング。
 全てにおいて達人の域に達していた。
「ハ、ハ、ハ! どうした? どうした? もう立てないかァ?」
 傲然と身を反らし、嫌らしく笑う。
「……たとえ……私が敗れ……ようとも……」
 言葉が続かない。脳に血が足りない。
「敗れようとも、何だってンだ? あ?」
 霞がかった意識の外で、自分の頭が壁に打ち付けられるのがわかった。
 男の頬が失望と嘲りの形に歪んだ。
「先代のカンビエルはもう少し歯応えのあるヤローだったが……」
 唾を吐き飛ばす。
「テメェは全然ダメだな」
 ――なぜ、彼は私の名前を知っているのだろう……?
 ――先代、とはどう言う意味だ……?
 そんな疑問は、すぐに消えていった。言葉を返す体力がなかった。
 魔性は気が抜けたように肩を竦めた。
「まぁ、いいか」
 言葉の終わらぬ内に、男は拳銃を取り出した。無気力な挙動だった。
 それでも、ブレる事なくカンビエルの眉間にポイントされる。
 おかげで、大口径の奥底まで見て取る事が出来た。
 引き金を引く動作も、ひどく無気力だった。


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