「で、どうする。ここでやるかの」
ジン・テツヤ師は声に出す笑いを納め、獰猛な無声の笑みを向けてきた。
それだけで重力のように圧倒感が増す。磁力のように全身を縛る。黄昏過ぎの重苦しい冥さが、効果
的な演出を加える。
思わず唾を飲み込んだ。
いかんいかん、気押されては負けだ。
俺はなるべく強い口調で答える。
「あ、もう暗い事ですし、えっと、出来れば屋内がいいかな〜……な〜んて……」
うん、とっても強い口調だ。偉いぞ俺。帰れ。
「緊迫感のない男だな」
テツヤ師は低く太い、いい声で苦笑した。さっきまでとは違う、自然な笑いだ。
「まぁよい、手早く済ませるとしよう。ついて来るがいい」
半ば闇に溶け込んだ紺色の長着を翻し、剣豪殿は歩み始めた。
「あ、はいはい」
俺は慌てて追い掛ける。
しばらくの間、雑草を踏み締める音が足下を駆け巡った。
「しかし、お主もアレだな、道場破りならもう少し早い時間に来れば良いだろうに」
「俺、昼過ぎからここにいたんですけど……」
「ん? あー、そうか、そうなのか」剣豪殿の声が少しだけ取り繕うような色を帯びた。「俺は昼は競馬場だったな、うむ」
……ついさっき俺が来たんだと思って適当な事言いましたねアナタ。
って言うか競馬て。
あんた門下生放っといて何やってんですか……。
「ほれ、着いたぞ」
中庭を囲むように立っている洋館の、一番小さな棟に辿り着く。小さいと言っても、昼間に見た他の家々と同じくらいはある直方体だ。白い漆喰壁が夜に映えている。無数の落書きにちょっと黒ずんでいたが、意識的に気にしないでおこう。
テツヤ師は扉の錠前を外しながらこちらに振り返った。
「物置きだ。まぁ上がれ」
物置きで決闘ですか。いや別にいいんだけど。
天井から下がる紐を引っ張る音と同時に、暖色を帯びたレトロな電燈が内部を照らし出した。
意外にも中は広々としていた。少なくとも、物置きと言う言葉から来る『時間とガラクタの堆積』的なイメージからは程遠い。せいぜい端の方に古そうな書物や刀剣が積まれている程度だ。
微かな風斬り音と共に、高速で霞む二振りの木刀が飛んで来た。俺は悲鳴を飲み込んで身を沈める。
同時に両腕を跳ね上げて、頭上を通過する飛来物を掴んだ。掌が短く擦れ、ヒリヒリと痛んだ。
「お主は二刀流だな。使うが良い」
「わざわざどーも」
俺は抗議の意を言外に込めた。テツヤ師はそれに気づいているのかいないのか、壁際の木刀の一つを取り、構えるでもなく携えた。
「では、始めようか」
彼は巌のように笑った。
俺は右足を前に出し、半身で構えた。腰に引き付けた左刀が打撃の為。前方に掲げた右刀は迎撃の為。
彼我の間合いは、一足一刀より少し余裕がある程度。何も考えずに踏み込めば、“後の先”を取られて打撃を貰う距離だ。
とりあえず、摺り足で少しづつ間合いを詰める事にした。
相手の周りに円のイメージを結ぶ。中に踏み込めば打てる円。打たれる円。
剣豪殿は微動だにしない。だが、嵐のような威圧感はひっきりなしに危機感の警鐘を鳴らす。俺は歯を食いしばった。
円の淵に辿り着く。
体中に纏わり付く汗を振払うように、床を強く蹴り付けた。円の中に大きく踏み込む。
柄を握りしめる。
左手の得物を振りかぶ――
――ろうとした。
瞬間、テツヤ師は俺から見て右に一歩移動していたのだ。
……位置が悪い。
一旦身を引き、対峙。
数瞬後、再び円に踏み込んだ。逆袈裟に斬り上げ――
だが、木刀を振るう直前、紺の長着が翻る。
気づけば敵影は低く姿勢を低く沈めており、すでに木刀が軌跡を描くであろう位置から脱していた。片膝を突き、腰に帯びるように得物を持っている。柄に手を掛けている。
俺は慌てて急ブレーキをかけ、踏み込みの慣性を殺すと、後方に飛び退る。
彼は酷薄にさえ映る微笑みをたたえながら、ゆらりと立ち上がった。
……いつのまに、しゃがんだ?
妙な違和感が胸を這い回ったが、すぐに気を取り直す。
今度は刺突を放とうと、右の拳を反転させて木刀を前に倒す。アンガルド。
「せぃっ!」
体全体を滑らせるように突進。剣豪殿の姿を凝視する。意識を収束させる。
時間が停滞し、空間が粘度を帯びた。
大気の悲鳴が全身を掠めていく。相手は動かない。
俺は凝視を続ける。一挙動も見逃さないように。
ひときわ甲高い空の唸りと共に、木刀の切っ先が彼の喉へ襲い掛か――
「――れ?」
刺突の射線には、すでに誰もいない。代わりに、視界の端で紺色の影がゆらめいていた。
躱された。いつのまにか。
俺はずっと見続けていたと言うのに、だ。
違和感は確信に変わる。
テツヤ師の動作には、過程がない。
あるのは『移動していた』と言う結果だけ。過程が――動作が、全く見えない。
……なんだそりゃ。
ありえない。物理的にありえない。おいおい、ワープかよと。テレポートかよと。そんなわけないだろと。
「どうした、来ないのか?」
驕るでもなく発せられた重低の声が、俺の混乱した思考を落ち着かせた。急いで剣豪殿へと向き直る。
問題は、どのタイミングで移動されたのかすらわからないと言う事。本当に、いつの間にか移動して“いた”。いや、ひょっとしたら俺が攻撃動作に入る前から……?
柄を握りしめた両掌が、汗で熱を帯びる。対照的に、心臓は冷たい風に直接吹き付けられるようだった。
これが『鬼眼』、か。相手の太刀筋を、ごく初期段階の予備動作から読み取って対処する俺の“予測”とは根本的に異なる。まさに“予知”めいたそれ。
原理は未だにわからないけれど、効果は朧げながら把握できた。
ならば、回避方向を限定させてやるまでだっ。
思い立つと同時に、構えた両刀を前腕に添わすように折り畳み、突進。床を蹴る。そして流れるように全身で旋回。
喉から低い咆哮が這い出て来る。体の回転でブレる視界がテツヤ師を捉えると、途端に焦点が合う。
――今っ!
太刀筋を読ませないように折り畳んでいた得物を――彼が予備動作から攻撃を読んでいるかどうかは不明だがとにかく――バネ仕掛けのように打ち広げ、旋回運動に乗せた超・大振りの横薙ぎをお見舞いする。二筋の剣閃は同時に、しかし軌道をずらして空を疾った。
振り抜く。敵を打ち飛ばした感触はない。しかしどこにいるかは判っている。
片方の木刀は床すれすれを、もう片方の木刀は中段の高さを、それぞれ横一文字に攻撃している。剣豪殿が逃げ込めるのは、“そこ”しかあり得ない。
すなわち、上方。
一瞬遅れて吹き荒れた剣風が髪と衣服を翻弄する中、俺は弾かれたように天井を見上げた。
電燈の光を背に、顔の間近まで迫った木刀が、高速で霞んでいた。
後頭部まで突き抜ける衝撃が、脳全体で。
……上に飛ぶだろうと言う予測は正しかったが……この人の剣速を甘く見ていた……
……あ〜もう、まともに剣を合わせないうちに終わっちゃったよ……悔しいな……
……意識が…………
………………
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