その街外れの洋館は、『でかくてぼろい』という表現がぴったりな代物だった。
とにかく大きい。
ユミシマの狭い住宅事情を鑑みれば、無意味に場所をとっていると言うほかない。
そしてぼろい。
古いのではない。古い洋館と言うと、それなりに威厳とかありそうな響きだが、この建物は違う。
手入れもロクにせずに草ボウボウ状態の広大な庭一面に、物干し竿で大量の洗濯物がぶら下げられている時点で、荘厳な雰囲気は粉砕されている。
更に、かつて白かったであろう壁面の至る所に、子供が書いたとおぼしき落書きが惜し気もなく晒されている。傍らに備え付けられた電動洗濯機は、いい感じに古ぼけて哀愁を誘っていた。
何なんだ、この溢れんばかりの生活感は。
まったく素晴らしいじゃないか。
半泣き状態でそう思っていると、笑いの感情を孕んだ美声が流れてきた。
「男物の洗濯物を見て感激するとは、なかなか変わった趣味をお持ちのようだな」
「どぅわっ!?」
涼やかでハイトーンな女性の声だ。しかも重大かつ致命的な思い違いをされた気がする。
激しく動揺しつつ振り返ってみるが、視界には壁の落書きしか入って来ない。
「……もっと下」
少し拗ねたように声が言う。
言われた通りに眼を下に向けると、驚いた事に、小さな女の子がこちらを見上げていた。
どうやら、彼女は俺に近い位置に立っていたため、『灯台もと暗し効果』(勝手に命名)が発生し、視界に捉え損ねたらしい。
少女の年頃は十才前後。小柄な体躯を白い胴着で包み、艶やかな黒髪を後ろで束ねている。可愛らしいが、同時に大人びた雰囲気も纏う雅やかな顔だちだ。
眼を引くのは、腰にぶら下がっている極めて長大な太刀である。はっきり言って、日常生活に支障がありそうなほど大きい。
鞘の二箇所には革紐の両端が括りつけられており、少女はそれを肩に掛けていた。
本当なら、俺に気取られずにここまで接近した事を驚くべきなのだろうが……。
「あ、いや、その、違う違う。違うんだ」
こんなに慌てたのは久しぶりだ。子供相手にそう取り乱す事もないだろうとは思うのだが、少女の落ち着き払った不思議な雰囲気に飲まれて、どうにも悪い事をしたような気になってしまう。
なんにもしてないのに。
女の子は小さな口元に小さな手をやって、クスクスと笑っていた。
「すまない、冗談だ。建物がこんな有り様だから、驚かれたのであろう?」
今度はしっとりと微笑んだ。
「あ、あ? あぁ、その通りその通り」
俺はやっと少し落ち着く。
……にしても、やけに古風な言葉遣いで喋るんだな。
「剣士殿はこの道場に、いかなる用件でお越しになられたのか?」
ど、道場……? ここが……?
「え、えぇと、ここにジン・テツヤ師はいないかい?」
問うと、彼女の声が少し柔らかさを帯び始めた。
「あぁ、ジン先生は私達のお師匠様だ。あいにく先生は今出かけていらっしゃる」
そう言うと、すこし首を傾け、
「……そうだな、しばらく中で待たれてはいかがか?」
私達、と言う事は、他にも生徒がいるのだろうか。
「い、いや、結構だ。居られないなら仕方がないな。出直すとしよう」
まさか、道場破りに来た所で悠長に待たしてもらうわけにもいかないだろう。
「まあ、そう言わずに、少しだけ付き合ってはもらえないだろうか? 今は丁度稽古の時間だ」
「え……?」
彼女は突然、頭をペコリと下げた。
「非礼を承知で御願いしたい。ここの門下生は皆、西側諸国の武術をほとんど知らぬ
のだ。だから是非是非、騎士の剣と言う物を拝見させて頂きたいんだ」
頭を下げながら、こちらを伺うように上目遣い。
大きな瞳が真摯な光を投げかける。
どうして俺なんかに頼むのかは分からないが、ここまで言われて断る程の理由もない。
「ああ、構わないよ。どうせヒマだったしね」
少女は顔をパッと輝かせた。
「ありがとう!」
そして両手で俺の右手を握ると、勢い良く上下に振った。
「わたしの名前はアヤカ・レイリ! 貴方は?」
「あ、あぁ、俺はバルトロメウ・ディアス。言いにくいならディアスでいいよ」
不本意だが、知り合いの中には、いまだに俺の名を言い間違える奴が何人かいるのだ。
……お前等なんか友達じゃネェ。
「承知した。よろしく、ディアス!」
アヤカは俺の手を取って歩き始めた。
「さぁ、こちらだ」
彼女が振り返ると、束ねた黒髪がフワリと揺れた。同時に大太刀も重そうに揺れ動く。……なんともアンバランスな組み合わせだな。
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