2、虚ろの少女

 『白焔』と呼ばれる集団がいた。
 《ビジター》の力をもって荒事を遂行し、利益に預かる。つまるところの暗殺者集団。
 所属する《ビジター》は、皆『白焔』の組織力をもって社会的迫害から身を守る事を選んだ者達であった。
 そこには絶対的な支配体制など存在せず、あるのは緩やかな共生関係だけであった。
 《ビジター》の力を借りてでも死んでもらいたい相手がいる人間は意外と多い物で、経済的に不自由はなかった。
 恐れられはしても、決して常人から受け入れられる事のなかった《ビジター》にしてみれば、数少ない安息の場とも言えた。たとえ殺人を強要されようとも、たとえ《ビジター》の外聞をどうしようもない程貶める結果 になろうとも、それだけは確かであった。
 『白焔』は、今日滅びる。
 天使が舞い降りた事によって。

 自分は、人を殺していたらしい。
 そう認識したのは、八歳の頃のこと。
 あまりに簡単過ぎて、それほど重大な事だとはまったく気付かなかった。
 どうでもいい。
 それを仕事と取るも、人殺しと取るも、やられる方にしてみれば何の違いもないのだから。
 実際、自分の所行を殺しと認識した次の日も、自分の行動に何の変化もなかった。いつものように、標的の心臓を手で貫き潰した。
 『白焔』の仲間からはユズハと呼ばれている少女は、そんな意味のない思考の流れに身を任せながら歩いていた。
 彼女の家に戻り、指示を仰ぐためだ。
 地上都市を闊歩している奇特な男を殺せ、と言う指令は既に果した。何故彼は殺されなければならなかったのか、何故彼は死に絶えた世界に降りていたのか。そこには多分、様々な理由があるのだろう。どうでもいい。
 聞きたいのはこれからの事。
 指令を貰わなければ、どうしていいのかわからない。それはとても不安な事だ。
 だから、ユズハは歩く。進む。
 『白焔』の建物は、まだ先だ。

 この建物は、昔は図書館か何かだったのだろう。おそらく。
 ビジネススーツの男は、無言で《ビジター》の殺戮を続ける兵士達の後ろ姿を尻目に、墓標のように立ち並ぶ本棚の数々を眺めていた。
 蔵書の中には、慈愛に満ちた神の教えを説いた物も、神に近しい聖人達が記したものもあったのだろう。
 嘆かわしい事だと思った。
 神聖な知識の宝庫にも、あの薄汚い魔性――《ビジター》を、彼と彼に類する者達はこう呼ぶ――は蔓延っていると言うのか。
 憎しみがどうしようもなく滲み出てきたが、表情は平静を保った。
 聖女猊下より授かったこの力、あんなクズ共相手に無駄に使う事もあるまい。
 男は切れ長の眼を兵士達の方へやりながら、薄く笑った。
 そうだ。今は守護天使たる彼等に任せておけばいい。自分の聖務は、ここに潜んでいるであろう唯一人の最上位 魔性を討ち取る事だけなのだから。
 その時。
 破裂するような打撃音が、男の意識を現実に戻した。
 視界の中に、大きく吹き飛ばされた兵士が飛び込んできた。
 ――最上位魔性か?
 男は身構えた。だが、直後に全身を弛緩させる。
 彼の魔性の力を感じ取る知覚能力は、これは最上位ではないと告げていた。
 ただの雑魚だ。
 だが、兵士達は尽く魔性の力を分解拡散する加護が添加されたコンバットアーマーを装備している筈。つまりは――
「《身体施呪》能力者、ですね」
 苦笑が漏れる。
 瞬間、兵士達の包囲網を突き破って、何かが飛び出してきた。
 高速で霞むソレは、人間の形に見えた。

 下層棒状居住区。その中程にある『白焔』のアジトを、ユズハは物憂げな――その実何の感情もない――瞳で眺めた。
 平面で構成されているが、全体としては有機的なフォルムを持つ奇妙な建物だ。この階層には、こういう奇妙なデザインが少なくない。
 もともとは図書館だったと、仲間の一人に聞いた事がある。
 それも、まぁ、どうでもいい。
 自分の次の行動指針をくれるのならば、どこであろうと問題ない。
 心持ち足を速める。
 一刻も早く、この不安から解放されたい。その思いだけが、ユズハの行動理由の全てだった。
 だけれども、今日に限ってはいつもと様子が違っていた。
 出入り口である金属の扉が、あり得ない方向に倒れている。
 蝶番が完全に破砕され、倒れた扉の中央には、奇妙な丸いへこみがあった。
 重い鎚に殴り倒されたような有り様だ。
 まっとうな人間ならば、ここで何か重大な事が起きたのではと思う所だが、ユズハはそう考えなかった。考えられなかった。
 とりあえず、どうでもいい。
 中へ入ろうと、視線を持ち上げると、仲間の一人が視界に入った。彼は倒れていた。
 仲間だと思ったのは、自分と同じ戦闘服を着ていたからであって、顔の判別がついたからではない。
 顔が、判別のしようもない程に破壊されていたのだ。顔だけではない。全身の肉が無惨に抉り取られ、周囲に散乱している。骨格が砕かれている。赤い水溜まり。
 濃厚な死の匂い。
 肉が焦げる匂い。
 微かな硝煙の匂い。
 何故か腐臭も漂ってきたが、あまり気にしなかった。
 ――何があったかは明白だ。
 残念に思った。
 せっかく仲間に会えたと思ったのに、これでは命令が貰えない。
 とてもとても残念だ。
 ユズハはぴょん、と仲間の残骸を飛び越えると、無警戒に奥へと進んだ。

 彼はビジネススーツの襟を正すと、にこやかに笑って会釈した。
 目の前には、しなやかな赤髪の若い女がいた。
 《身体施呪》の能力を持ち、敬虔な使徒たる守護天使の一人を殺害した、クソ忌々しい女だ。
「いきなりは、ひどいですねぇ」
 声をかけると、女はあからさまに身を縮こまらせた。
 ――いっちょまえに怯えてやがる。
 魔性の分際で。
「ここは一つ、平和的に話し合いといきませんか?」
 ゆっくりと歩みを進めた。もちろん、殺すために。
「ち、近寄らないで!」
 うるせぇ黙れ。
「そんなにおびえないでくださいよ……」
 哀しげな顔をして女の肩に手を掛けた。
 ……掛けようとした。
 女の体が一瞬にして掻き消え、左半身に重い衝撃が走った。《身体施呪》によって異常加速された肉体をもって、身体ごとぶつかってきたのだ。
 その速度は、彼の動体認識の限界を凌駕した。
 男は、常人ならば全身が砕けてもおかしくない衝撃を受け、しかし半歩よろめいただけで踏み止まる。
 最強を自負する彼にしてみれば、ただ速いだけの《身体施呪》能力者の攻撃など、蝿がたかるようなもの。
 憎しみを込めた眼差しを送ろうとして振り向くと、女は既に扉を突き破って逃げ出した後であった。廊下を駆ける音と、扉を突き破る音が今でも断続的に聞こえてくる。
 あきれた脚力だ。
 蝿は、逃げ足だけは速い。
 男は心の中で激しく舌打ちした。

 ユズハが廊下の突き当たりの扉を視界の中央に捉えて歩いていると、突如、その扉が向こう側から突き破られ、若い赤髪の女が飛び出してきた。
 ――仲間だ。
 女はユズハを見るなり、眼に涙を滲ませた
「ああ……ユズハ……」
 そしてユズハの華奢な体躯を抱き締めた。
 ああ、よかった。
 彼女なら自分に指図してくれるだろう。
 本当に、良かった。
「逃げよう……早く!」
 もちろん、異議などあろう筈がない。
「はい」
 間髪いれずに返事をした。
 その刹那――
 向こうから、重々しい爆音……いや、銃声が轟いた。
 咄嗟に、ユズハは三つ保持する能力の中で、最も使用頻度の高い《障壁》を発動。
 瞬時に蒼く輝く半透明の盾が顕現。
 ヂィン、と、異音が響き、砲火が弾かれた事を知らせる。
 何故か、着弾の瞬間に脳に衝撃を受けた。力が抜けかかる。まるで、大口径の量子砲を防いだ時のような消耗ぶりだ。
「ちょっと、ゴメンね!」
 女がユズハの体を小脇へ抱え、猛然と駆け出した。
 正しい判断だ。
 《身体施呪》保持者は、《ビジター》の中でも最も体力に優れる。人ひとり抱えているとはいえ、ユズハと並んで走るよりも速い事は明白だ。
 空気が凄まじい速さで後ろへ流れてゆく。
 はるか後方から、巨大な銃声が何度も迫ってきた。音から判断するに、散弾銃か。
 ユズハを抱えた女は音高く跳躍。直後に足元を散弾が掠めた。
 次に壁を足掛かりに跳躍。今度は天井から跳躍。
 女は、狭い廊下の中を跳弾のように飛び回りながら疾走する。
 あまりにもな瞬発力。
 弾丸は床や壁を削り砕くだけで、一発たりとも命中しなかった。
 もともと、散弾銃は遠方への狙撃には向かない武器だ。《ビジター》の常識をも超越する身体能力を持つ女が避け続ける事は、さほど難しくない。
 襲撃者との距離は、見る間に広がってゆく。
 風圧が彼女等の髪を弄ぶ。
 まだ銃声が聞こえるが、もはやこの距離では当たる方がおかしい。
 ほどなく、女はユズハが最初に見つけた『白焔』メンバーの屍体を飛び越え、アジトの外へと駆け出していった。
 ユズハは、女の腕の中で激しい揺れに翻弄されながら、後ろを見た。
 遥か遠方で、白いコンバットアーマーを着た兵士達に混じり、ビジネススーツの男がこちらを凄まじい形相で睨み付けていた。


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