14、わるだくみ

 第七天上世界、中高柱状居住区。世界の中心を上下に貫く巨大な柱の中程。
 告死天使サマエルは頬杖をつき、猥雑なにぎわいを見せる表通りを眺めていた。
 原色が踊っている。喧噪と熱気が燻っている。歓声悲鳴嬌声怒号。それらを取り囲むのは、どぎつい色で輝く広告、看板、標識。
 絢爛極彩イルミネーション。電飾文字の内容にやや品性が欠けているのは御愛嬌。下層民と言う働き蟻を得た中高区民のライフスタイルは、欲望に対しては真摯なものだ。奴隷に生活を支えられている点で古代地上都市国家の市民達と共通 するが、ここの連中は哲学思索も芸術活動も行わない。
 サマエルはそれを良い事とも悪い事とも感じない。ただ、他人の生活様式を判定するのは傲慢な事だとは思った。
 ……では自分達は? 何も知らぬ“彼等”を悪と断じ、問答無用で討ち滅ぼす自分達は?
 必要悪――便利な言葉だ。
 プラスチックの窓越しに見える享楽の坩堝から眼をそらし、店内を見渡す。
 酒場。それもとびきり『下の下』。外のサイケデリックな色彩感覚とは対照的に、ただひたすら薄汚れている。設置されているテーブルなど、肘を預けるのに若干の抵抗が芽生える程度には黒光りしていた。他のテーブルやカウンターの客も、浮浪者か訳ありかチンピラと言った面 々だ。辺りには酒と汗の臭いが熱を籠らせており、サマエルは己の身体機構に嗅覚が備わっている事を少々恨めしく思った。
 隣では、凄まじい力で鉄骨を束ねて引き絞ったような体を持つ男が、その身を折り曲げて席に体重を預けていた。威圧と実利を兼ね合わせた肉体は、常軌を逸した長身ゆえに、獰猛だがスマートな印象を与える。
 彼は腕を組み、目の前に置かれたグラスを無感動な眼で眺めていた――否、眺めてすらいない。彼はこの場の何処にも眼を合わせていない。
 告死天使カフジエル。教会における恐怖の偶像。異端児の中の異端児。
 こちらの視線に気づいたのか、カフジエルはひどくゆっくりと顔をこちらに向け始めた。座席が軋む。慌てて眼を逸らす。発汗器官でもあれば、あるいは冷や汗の一つも流れていたやも知れぬ 。
 この沈黙が、かれこれ十五分。サマエルは早めに指定場所に来た事を少し後悔した。
 眼を閉じ、腕を組み、俯く。こうなったら彼の真似をして他の面々の到着を待とう…… 


 ユノ教会は、形而上の組織である。
 本拠地を持たない、ひどく曖昧な、システムとも言うべきもの。書類の上だけの組織ですらなく、ただ構成員の記憶と忠誠のみが教会を存在たらしめる。兵器生産施設はいくつか保有しているが、そこに教会の存在を示す物はほとんどない。
 ゆえに、有事の際に行われる戦略会議も定まった場所では行われず、下層界か中高界のカフェだか酒場だかがランダムに選ばれる方式だ。
 その結果が、これ。よりにもよって品位に欠ける空気を持つ中高区の、よりにもよって奥から大麻か硝煙の匂いでも漂って来そうな酒場。


 五分も経った頃。酒場に一組の男女が現れた。背格好はまるで違うが、共通する感情の見えぬ 微笑みが二人の印象を似た物にしていた。
 片やビジネススーツを潔癖に着こなした長身痩躯の男。
 片や曲線豊かな肢体をレザーのドレスで包んだ女。
 男の方がサマエル達に気づいたのか軽く手を上げた。女に声を掛け、歩み寄って来る。
 告死天使アズラエル。告死天使アドニエル。
 魔性殲滅数において最右翼の両名。
「やあサマエルさん、先日はどうも。首尾はどうでしたか?」
 アズラエルはにこやかに微笑んだ。
 彼は『白焔』の殲滅作戦で二人の《ビジター》を取り逃がしている。その追撃部隊を先導したのはサマエルだ。
「作戦中に中位魔性スメラギ ミカドが乱入し、追撃は失敗。守護天使十体は全滅。黄道十二宮天使ハマエルは死亡」
 淀みなく、見たままを答える。
 アズラエルの眼から、何かが去った。スメラギ ミカドの名前は、アズラエルにとって特別 な意味を伴う。
「ほう……」
 口元が僅かに引き攣り、どうにか笑みを形作った。歪な笑みだった。
「彼が……ッ……?」
 笑いの衝動を押さえる為か、口に掌を押し当てる。押さえ切れぬのか、俯き顔をそらす。しかし指は痙攣しながら何かを握り潰すように曲がり、切れ長の瞳には怒りとも渇望ともつかぬ 冷たい激情が宿った。押し潰された低い嗤いが滲み出る。
「そう……彼が……ッ」
「まぁ怖い顔。サマエルさんが困っていらっしゃいますわよ?」
 柔らかなソプラノが耳朶を撫で上げた。アドニエルが長身痩躯の影から顔を出し、アズラエルの顔を見上げていた。軽くウェーブのかかったロングヘアーが白い肩から滑り落ちる。
 アズラエルは再び――手間取りながらも――精緻な微笑みを作りなおした。
「いや失礼しました。私も子供ですねぇ。それにしてもハマエルさんは惜しい人でした……。あぁ、カフジエルさん、こんにちわお久しぶりです」
 言いながら、座席に腰を落とす。カフジエルの返事はない。
「相変わらず寡黙な方ですわね……」
 サマエルの隣席に滑り込んでいたアドニエルが小声で呟いた。
 寡黙とかそう言う問題でもない気がしたが、曖昧に頷いて躱す。アドニエルは小さく笑った。
「それにしても、ずいぶんとまぁ」
 たおやかな指先を顔の前で絡ませながら、彼女は荒くれた店内を見渡した。
「雰囲気のよろしくない喫茶店ですこと」
「まぁたまにはこういう所も新鮮じゃないですか。ほら、夜景も綺麗ですよ」
 アズラエルが困った表情を作り、取りなす。
 しかしアドニエルは少し拗ねたような貌で、長い髪の毛先を弄り始めた。
「私には下層区の方が合っていますわ」
 とは言え、彼女のレザードレスは少々派手なカッティングで、中高区に十分溶け込んでいる。カウンターに居座っていた奇抜なタトゥーの男達が、アドニエルに好色そうな眼を向けていた。カフジエルの威容のおかげか、手は出して来ない。
 もっとも、手を出して来たところでこの面子をどうにかできる人間などいるはずもないのだが。 


 製造されたのは五体。
 戦略会議の参加者は、一人と四体。
 普段は人間のママゴトをしている四体は、時間前に指定場所に到着した。
 貶められた一体は、活動を休止していた。
 残る一人は、時間丁度にやってきた。


「皆、こんな所までわざわざすまないな」
 その男――カバネ シビトの口調は、言葉とは裏腹に冷ややかなものだった。
 ジーンズと革ジャケと言うラフな格好だが、落ち着いた物腰が少しも粗野さを感じさせない。顔だちは若いが、身に纏う峻厳な空気が彼の年齢を不確定にしていた。
 シビトは空いている席の一つに腰を降ろし、足を組んだ。
「それは構いませんが、何かあったんですの?」
「アキムラ シロウ、ですね?」
 その名が出ると、その場の空気が揺れ動いた。アドニエルは眉をひそめ、カフジエルもがチラリと視線を動かした。
 アズラエルは『白焔』アジトで最上位魔性アキムラ シロウについての命令を伝えられていたが、詳細は戦略会議の場で知らされる事になっていた。
 下層区、中高区、至高区の間にほとんど往来はなく、実際的な運輸システムは確立されていない。故、当時下層区におり、サマエルのような特殊な移動能力を持っていないアズラエルがこの場まで来るのに一週間を要した。
 アズラエルの言葉に、シビトは頷いた。
「五日後、奴との会合の場を設けた。君達の熱心な信者が命がけで話をつけてくれたよ」
 シビトは冷めた笑みを組んだ両手の向こうに隠した。
「理解に苦しみますわね」
 アドニエルがぴしゃりと言った。
「何故魔性と話し合う必要があるのかしら? ――ね、サマエルさん?」
 彼女は同意を求めるようにサマエルの瞳を覗き込んだ。
 サマエルはその子供待遇に眉を僅かにひそめながらも頷き返した。しかしシビトに対して否定的なニュアンスはなく、ただ不思議に思っただけの行動である。
「私も同感ですね。どのみち我々に滅ぼされる運命なのですよ?」
 アズラエルも同調する。
 シビトは笑みを浮かべた。微笑みではなく冷笑だった。
「君達はアキムラと言う男について何か勘違いをしているようだ。奴を既存の魔性のイメージに当てはめない方が良い。天使は魔性の上位 概念である、と言う君達の固定観念を根底から覆す存在だ。あの男は、おおよそ魔性と名の付く者達の頂点に位 置する」
 息を吐いた。乱れかけた気息を正した様にも見えたし、嘆かわしげに溜息をついた様にも見えた。
「ならばなおさら、早急に滅ぼさなければならないでしょう」
 アズラエルの言葉に、眼を伏せて首を振る。
「だから会合などなかった事にして自分にアキムラを討たせろ……と? はっきり言っておく、アズラエル。お前ではアキムラには勝てない」
 アズラエルの頬に電撃のような痙攣が奔った。
「ほう……ずいぶんとおかしな事をおっしゃいますねぇ」
 トーンがやや低くなる。
「御存じないわけではないでしょう。私の敗北は物理的にありえない事を」
「あぁ、いかなる攻撃であってもお前は滅ぼせない。それはアキムラであっても同じ事」
「ならば……!」
「だがな」
 シビトは反駁を遮った。
「勝てもしないよ。お前とあの男では戦闘が成立しない」
 ビジネススーツの男は言葉に詰まった。浮きかけていた腰を、席に戻した。
「……それで、話し合ってどうなさるおつもり?」
 確執を退屈そうに聞いていたアドニエルは、ハンドバッグから取り出した小さなガラスヤスリで爪の手入れをしていた。
「あぁ、別段仲良くなろうなどとは思っていない。いずれは奴にも死んでもらう」
 ふたたび、冷たく笑った。
「何しろ正義は君達にあるのだからな」
 “我々”ではなく“君達”。 カバネ シビトは、教会の中でも特殊な立場にあった。
「君達は世界のホメオスタシス――そうだろ?」



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