11、群青世界
外側から瞼を光が射る。
強い光だ。今までに感じた事がない程に。
だけど不快じゃない。
――暖かい。
ツジマサ レイナはぼんやりとした頭で、ゆっくりと眼を開けた。
途端に眼を照らす光は強さを増す。
視界一面、焦茶色。
思わず眼を見開く。白一色の下層棒状居住区に慣れ切っていたレイナの視覚には、その色は幾分新鮮なものに見えた。
慌てて身を起こし、辺りを見回した。
木材で構成された寝室だった。色は焦茶。質感はツルツルとしていそうだ。ただ、表面
には有機的な模様のようなものがあり、それは人工の合成木材にはない特徴であった。
頭の霞が急に晴れてくる。
――ここは……?
己の体を包み込む柔らかな感触をやっと自覚する。視線を巡らすまでもなく、自分が大きな寝台に寝かされているのがわかった。
そして、部屋には寝台がもう一つ。
そこで寝かされていたのは――
「ユズハ……っ」
レイナは身を包んでいた薄い布をはね除け――ようとして、胸部の鈍い痛みに顔をしかめた。ハマエルとの戦闘による傷は、まだ癒えていないようだ。薄手の夜着の前をはだけて見ると、傷はテープと被覆材が巻かれ、綺麗に手当てされていた。
着衣を直し、今度はゆっくりとユズハの寝台に歩み寄った。焦茶色の床のひんやりとした感触が少しだけこそばゆい。
ユズハは包帯の海の中に身を横たえていた。
自分より傷は酷いらしく、あてがわれた布には血膿が染み出ていた。出血が多かったのか、肌は病的に青白くなっている。
胸が締め付けられるような気がした。
「ユズハ……」
――あの時。
――天使達の襲撃を受けたあの時。
自分はユズハに「逃げて」と言ってあげるべきだったのだ。間違っても撃退しろなどと言うべきではなかった。
そうすれば――
「ごめんね……」
――苦痛も恐怖も、自分一人の身だけで済んだ。
こんなやせっぽちの女の子がこんなに痛い思いをすることもなかった。
「本当に、ごめんね……」
視界が不安定に揺れる。
レイナは寝台の前に跪いた。おずおずと腕を伸ばし、少女の手を握る。
悲しいほどか細く痩せていた。少し冷たかった。
手の甲を己の頬に押し付ける。
――せめて、早く良くなって……
突如、ぎぃ、と言う音がした。
「あっ!」
溌溂とした高い声。
レイナは驚いて顔を上げた。少し身構える。
寝室の扉が少し開いており、そこから五、六歳の少年が顔を覗かせていた。
視線が合うと、彼は満面の笑みを浮かべた。
「よかった〜、あのまま目をさまさなかったらどうしようとおもってたよ」
少年は扉を閉めて駆け寄ってくる。レイナの目の前で急ブレーキを掛けると、
「具合はどう? まだどこか痛い? お腹すいてない? なにか欲しいものある? ボクはヤナラビ コウっていうんだけど、お姉ちゃん名前は?」
レイナが目覚めたのが余程嬉しかったのか、目を輝かせて早口で捲し立ててきた。
レイナは少々頬を引き攣らせながらも警戒を解く。
「わ、私はツジマサ レイナだけど――」
「そっか、じゃぁレイナお姉ちゃん。治りかけなんだからねてなきゃダメだと思うよ。まだ動いたら痛むでしょ。それとも寝てたら退屈? うんそうだよね、ボクもこの前風邪引いちゃった時なんてミカド兄ぃにベッドにしばり付けられちゃったんだよ、まったく五回や六回抜け出したくらいでオーバーなんだよね兄ぃは。そうだ、今度電動知性の携帯端末もってきてあげるよ! 電脳網に接続できるし、ゲームもできるんだ。これで寝てても退屈しないね。それにしても暑いねここは、湿度どれくらいかなぁ……待ってて、今窓開けるよ」
コウは、唖然としているレイナの前を通り過ぎると、「よいしょっと」踵を上げて窓に手を伸ばした。
「あの……コウ、君?」
「うん?」
コウは「よっこらせっと」すこし苦労しながら戸を押し上げている。ともなって、カーテンの隙間から光条が差し込むばかりであった室内に明るさが増していった。
「ここはどこ…………なのっ!?」
レイナは窓から見える光景を前に、予定していた問いを予定外のニュアンスで発することになった。目を見開いて外を見つめる。
そこには、物語の中でしか見たことのない世界が広がっていた。
青々とした草原が、広がっていた。
スメラギ ミカドはソファに腰かけながら、熱心に手を動かしていた。
食い入るように注がれる視線の先では、分解された拳銃の部品が広げられている。漆黒の銃身を手にとると、油布とワイヤーブラシで念入りに磨きをかける。普段は凶暴な咆哮を上げるミカド愛用の拳銃も、この時ばかりは大人しくその身をまかせていた。
VH―32W『クワイータス』。
軍製対機重兵器用自動拳銃。五十口径の巨砲から撃ち出される徹甲弾は、運動エネルギーだけで人体を楽に破壊する。
今日もコンディションは大良好。
上機嫌で作業続行。
「だーれかさんが、だーれかさんが、だーれかさんが、みぃつけた〜♪」
鼻歌混じりに歌もでる。先時代の童謡だが、ミカドが歌うと意味もなく不吉だ。
「ちいさいあ〜き、ちいさいあ〜き、ちいさいあ〜き、みぃつけた〜♪」
薄笑いを浮かべ、今度はピストン部の汚れを拭き取りはじめた。
「めェ〜かくし、おォ〜にさん、てェ〜のなるほ〜うへ♪」
歌に不気味な抑揚をつけながら、カーボンの汚れを拭ってスプレーオイルで洗い流す。
「すゥ〜ました、おォ〜みみに、かァ〜すかに、しみたァ♪」
次は機関部。最も汚れの溜まりやすい部分だ。特に念入りにワイヤーブラシを動かす。
「よォ〜んでる、くゥ〜ちぶえ、もォ〜ずのこえ〜♪」
ミカドはこの銃を幼い頃から振り回していた。『無口な相棒』と言っても抵抗はない。
「ちいさいあァ〜き、ちいさいあァ〜き、ちいさいあァ〜き、みぃつけたァ〜♪」
気分が滅入りそうな歌声の終わりと同時に、銃の手入れも終わる。丹念に磨かれた『クワイータス』の大振りな部品達は、濡れた牙のような光沢を放っていた。
その様を見ていると、何となく郷愁を感じる事がある。
――オヤジ。
胸中で、この銃が最初に襲い掛かった相手に呼び掛ける。
――元気でくたばってるか?
知らず知らずのうちに、口元が弛んでいた。
――もし万が一生きてるんなら、ちゃんと知らせてくれよ。
憎んでもいない天使達を平然と虐殺する青年も、父親に対しては違う思いを抱いていた。
――そんときは。
何故なら。
――テメェに地獄を見せてやる。死ぬ程後悔させてやる……
父親は、彼が世界で唯一、賭け値なしの憎悪をぶつけた相手。
だが、その憎悪が満たされる事はなかった。
ミカドの父もまた――実に珍しい事例だが――《ビジター》の力を保持する者であった。力の大きさはミカドを遥かに上回り、加えて《身体施呪》能力者すら殴り殺す凄腕。
幼少のミカドに勝てる相手ではなかった。
スメラギ ミカドのドス黒い殺意は果たされる事のないまま、父と子は別離を迎えた。
恐らくは、永遠の別離であった。
父親がミカドに殺されなかった理由は、ただそれだけでしかない。
ミカドか父親に殺されなかった理由は、ミカドにはよくわからなかった。
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