10、血塗れの邂逅・下

 黄道十二宮天使ハマエルは激痛に呻き、己の胸板から生えているモノを見る。
「……!」
 ソレは、剣の切っ先に見えた。
 ドス黒い深紅色の刃だった。
 無気味な光沢を宿すソレは、あたかも巨大な寄生虫が肉を喰い破って外に飛び出したかのように、ぬ めり蠢いていた。
 ククッ、と魔性が喉の奥で笑った。
 その悪意に操られた紅い剣は、躊躇もなく動き始めた。
 ハマエルの体内を支点に横薙がれたのだ。
「……か……あは……!」
 肉が引き千切られ、肋骨が切断され、肺を破り開けられた。
 視界が、紅く染まる。
 眼から口から鼻から耳から傷口から、止めどもなく命の飛沫が吹き出す。
 死の前兆でしかない苦痛の嵐の中で、ハマエルは悟った。
 ――恐らくは、銃把で叩き落とされた時だろう。
 自分の肉体に、魔性の邪悪な意志を代行する『何か』が埋め込まれたのは。
 その『何か』が朱色の邪剣を生み出し、振るい、破壊している。
「どうだァ? 体を内側から切り裂かれる感触はよォ」
 黒衣の男は凶笑を頬に貼付かせる。
 その眼に宿っていたのは、驚いた事に狂気ではなかった。
 八割の悪意と、二割の無邪気さ。それだけだ。
 魔性はおもむろに人指し指を前に構えた。
 そのまま横一文字に空を切った。
 呼応するように、深紅の剣は短く縮まりながらハマエルの体内に埋没する。
 次の瞬間、ソレは天使の心臓を刺し貫いていた。
 一度大きく痙攣し、力を失いながら崩れ落ちてゆく天使の体。
 彼の真っ赤になった視界は、次第に黒く霞んでいった。
 最後の瞬間に、黄道十二宮天使の胸中にあったのは、聖女への謝罪の気持ちだけであった。


「天使のお兄ちゃん、死んじゃった……ね」
 コウは呟いた。
 サマエルは黙っていた。
 ……自分は、黄道十二宮天使の冥福を祈る事しかできなかった。
 直接的な力のない我が身が恨めしい。
 一瞬、沈黙が場を支配。
 やがて、迷いながらも告死天使は尋ねる。
「……君の中にある、天使への嫌悪は何ゆえ……?」
 癖毛の少年はこちらを見、大きな瞳をしばたく。
 少し表情に笑みを取り戻し、口を開きかけた。
 だが。
「コウ〜! もう降りてもいいぜ〜!」
 遥か下方から、朗々とした声がした。
 呼ばれた少年はパッと顔を輝かせると、
「ミカド兄ぃがよんでる。ボクもういかなきゃ!」
 クルリと踵を返すと、屋上の昇降機にむかって駆け出した。
 ……と、思ったらこちらに振り返り、言った。
「今の答えだけど、キミのことはキライじゃないよっ」
 満面の笑み。そして再びこちらに背を向け、トコトコ走って行った。
 昇降機の駆動音を聞きながら、サマエルは自分の胸が安堵に弛緩するのを感じた。
 ――安堵?
 ――何故、安堵するのだ……?
 サマエルは少し驚きながら、答の出ない思考の海へ沈んで行った。
 

 ふぅ……、とスメラギ ミカドは天使の残骸の傍らで息を吐いた。
 直前まで胸中を満たしていたドロドロの悪意は、綺麗に洗い流されている。
 いい気分だ。透き通るような。
 背後に振り返る。黒のロングコートが揺れた。
 眼に入るのは、相変わらずウンザリしたくなるほど白い街並み。
 どうして下層居住区はどこもかしこもこうなのだろう。いい加減見飽きてくる。
 まぁ今に限って言えば、彼の興味を引きそうな事柄がそこにはあったのだが。
 胸と太股に傷を受け、ぐったりとしている少女。
 それを沈痛な顔で抱き起こしている女性。こちらも軽傷とは言えない傷を負っている。
 ――あれは一回も天使に襲われた事がないって顔だな。
「よう、怪我はどうだ?」
 歩を緩めずに、少し大きな声で彼女等に呼び掛ける。
 精一杯穏やかな声を出したつもりだが、はたしてどうか。
「来ないで!」
 ……だめか。
 予想はしていたが、やはり少々哀しい。
「俺ぁ、アンタらに危害を加えるつもりはないんだがな……」
 足を止め、灰色の頭を掻く。
 もうすぐ騒ぎを聞き付けて武装神威警察がやってくるだろう。天使達ほどではないにせよ、対《ビジター》戦用兵装を整えた奴等だ。手負いの女が瀕死の少女を抱えて何処まで逃げおおせられるかは、正直言ってわからない。
 別に見捨ててもどうと言う事はないのだが……何故か、それは躊躇われた。
 赤髪の女性はこちらを見てはいなかった。
 見ていたのはスメラギの背後。ハマエルの無惨な屍体だ。
 ――この殺し方はマズかったかなぁ、やっぱ。
 後悔先に立たず。
 仕方がないので別のアプローチを試みる。
 スメラギはニッと笑んだ。
「……なぁ、知りたくねぇか?」
 その声色は、新しい悪戯を考え付いた少年のように弾んでいた。
 そして再び歩行を開始する。
 乾いた靴音。
「え……?」
 女は警戒と困惑の混じった表情でこちらを見る。
 黒衣の青年は進みながら言葉を続ける。
 乾いた靴音。
「何故アンタらは狙われなきゃならんのか。何故あいつらは神だの聖女だのウゼェ戯言を事あるごとにヌカしやがるのか。何故あいつらは《ビジター》でもねぇのにバケモノじみた力を持っているのか。そもそも――」
 スメラギは笑みを消す。
 なおも歩みは止まらない。
 乾いた靴音。
「――《ビジター》とは何なのか。…………知りたく、ねぇか?」
 とうとう、女と少女のすぐ側まで到達した。
 靴音が、止まった。
 スメラギは手を差し出した。
 女は少女を抱き締め、迷いと畏れに俯いた。だがすぐに強い意志を視線に込め、見上げてきた。
 差し出した掌に、柔らかな感触が広がる。
 黒衣の青年は微笑んだ。
「疲れたろ? 今は、眠るといい……」
 そしてもう一方の手で女の額に触れた。そのまま不可視の“触手”を女の脳内へ潜り込ませ、《心象覚》の能力をもって前脳基底部に働きかける。
「あ……」
 女は、小さな吐息と共に意識を失った。
 スメラギはやや慌てて二人を支えると、両肩に担ぎ上げて立ち上がった。
 そして振り返る。
 コウが白い高層建築から出て来ているのが見えた。
「コウ! そろそろずらかるぜ!」


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