1、告死天使
第七天上世界の外壁に三つの銃声が木霊した瞬間、三つの肉塊が出来上がっていた。いずれも頭部を一撃で粉微塵に破壊されている。
彼等を見下す様にして佇む十数体の人影があった。肌の露出を拒むように、全身を覆うコンバットアーマーを着用し、大口径の散弾銃で武装している。全員が直立不動で待機している姿は、周囲の壮麗な佇まいの中では明らかに浮いていた。
奇妙な事に、彼等の腰には、遥か昔に姿を消した筈の武器――長剣が、吊り下げられていた。
「いつもながら早いですねぇ」
その声は、一言も発しなかった兵士達の間から漏れでてきた。
「ちょっと、すいませんね」
一歩も動かない無言の兵士達を掻き分ける様にして出てきた男は、黒のビジネススーツを痩せた身に纏っていた。否、痩せているのでは無い。そう見えるのは、驚く程長い手足の為だ。お世辞にも均整が取れているとは言えない、ひょろりとした長身。
どう見ても兵士達より頭一つ分背が高いが、男はさっきまで彼等の中に見事に溶け込んでいた。
男はようやく三つの死体の前に辿り着き、跪いてしげしげと観察し始めた。
肉塊に顔を近付ける。本当に死んでいるのかどうかを確認する為だ。その表情に嫌悪感は全く見られない。
惨状であった。
夥しい量の血痕が純白の地面に付着し、光を反射する頭蓋骨の破片や、ジェル状の脳漿が散乱している。直前までそれぞれ別
の人間の頭部に納まっていた“中身”だが、それがどの死体のものであったのかを判別
する事は、最早不可能となっていた。
無数の赤黒い細切れが純白の地面にこびり着き、その中心部で三体の死体が同じ姿勢で横たわっている様は、なんだか滑稽な光景だ。少なくとも男はそう思っていた。
満足したように頷くと、膝の埃を払いながら立ち上がり、
「次、行きましょうか」
笑みを浮かべた。
それまで身じろきすらしなかった兵士たちは、その声にのみ反応を示した。
銃を構え直し、目の前に聳え立つ建造物へ移動する。
完璧に統率の取れた迅速な機動。
一人がドアノブに手を掛け、鍵がかかっているとわかるとすぐに肩からの体当たりで扉を破壊した。
倒れゆくドアの向こう側に、人影。
瞬間、空を切り裂く音と共に、深紅の閃光が扉を破った兵士の首筋を走り抜けた。
兵士の頭が僅かに横にずれる。斜面を滑るように。
頚部の切断面からは、冗談のように勢い良く血液が噴出し、周囲を瞬く間に紅く染め上げた。まだ、体は倒れない。
彼の後ろに控えていた別の兵士達の動作は早い。
瞬く間に三つの銃口が、首を失った兵士の体に――否、その向こうにいる何者かにポイントされた。
断続的に響き渡る、轟音。
三つの散弾銃から正味八回ほど重々しい咆哮が轟き、無数の散弾が死の雨となって眼前の物体に食らい付いた。
兵士の体は細切れとなって千切れ飛ぶ。
破裂するように四散した屍体の向こうには、瀕死の重傷を負った男が片膝をついていた。
その体はあまりにも強力な銃撃を受け、腕と脇腹をごっそりと吹き飛ばされている。
歪な切断面は所々焼けこげて異臭を発し、強引にねじ曲げられた骨格が肉を突き破って飛び出していた。
散弾銃の至近射撃とは、つまり殺害ではなく破壊を意味する。男の受けた欠損は、破砕された兵士と比べればあり得ないほどに少ない損害だった。
しかし、彼に己の命が助かった事を有り難がる余裕はなかった。その顔は引き歪み、驚愕と苦痛と恐怖を演出していた。
「なぜ……だ……障へ……」
吐血混じりの、哀れな程聞き取りにくい言葉であった。
兵士達は過去に何度もその疑問をぶつけられている。
最後まで聞いてやる義理はない。
建物に入り込んできた無言の兵士の一人が、哀れみも躊躇いもなく散弾銃を男に向けた。
男はそれに気付く。しかし絶望に身を委ねる事なく行動に移る。
微かに見開かれる眼。内に眠る不可視の力の覚醒。精神の高揚感に伴い、心象世界で練り上げられた力が物質としての性質を与えられる。
外界での展開。
かりそめの物質となった不可視の力は、主人の眼前に堅牢無比な壁を形成。鮮やかな朱色。
《障壁》。
理論上はあらゆる衝撃を弾くと言われる、《ビジター》特有の能力。いかに大口径とは言え、散弾銃程度でこの障壁を貫く事はできない。さっきは障壁展開が遅れた為、何発か喰らってしまっただけ――彼はそう考えていた。
彼だけが、そう考えていた。
壁が完成した直後、散弾銃の耳障りな爆音が大気を揺るがす。
襲い掛かる無数の散弾。
鉛の驟雨は紅色の障壁へ凶暴に食らい付き、そしてそれを――
粉々に打ち砕いた。
男の内で、硝子が割れるイメージが現れ、消えた。
散弾の第二陣が飛来した。
なぜ障壁が破壊されたのか。そんな疑問が沸き起こる直前、あっさりと彼は意識を――生命を、手放した。
《ビジター》は、戦闘力のみに眼を向けるならば、最強の生命と言えた。なにしろ丸腰で銃を持った人間を圧倒できるのだ。尋常な強さではなく、尋常な生物でもなかった。
その尋常でない生物がいつ頃から現れたのかは正確にはよくわかっていなかった。
人類が未だ汚れた地上に根を降ろしていた頃より存在し、神や魔物のモデルとなっていた、と言う者がいた。
ここ五十年以内に現れた繁殖能力を持つ突然変異体に過ぎない、と主張する者もいた。 どの説も明確な証拠はなく、所詮は憶測でしかなかった。故に統一した見解も成立しなかった。あまりにも判断材料が少なく、不可解な存在だった。
だが、《ビジター》が史上最強の戦闘能力を有する生命であることに関しては、全ての人間が納得していた。
強さの理由は二つあった。
一つは、当然ながら、常人にはない特異な超常能力の保持。
もう一つは、能力の発現状態に伴う身体能力の、物理を無視した向上。
どちらも彼等に圧倒的な強さを与えた。銃弾など問題にならなくなる程の強さを。生物としては不必要な程の強さを。
彼等は普通の人間達の潜在的恐怖となった。外見上は人間と変わる所はなく、しかし自分をひとひねりで殺せる力を持つ者達。疑心暗鬼。
《障壁》の能力を持つ者は特に恐れられた。彼等の前では、あらゆる重火器は無意味と化した。それは魔人と呼ぶに相応しい、絶対的な強さだった。
まさに無敵であったのだ。
兵士の一人が奥の扉を蹴り開けた瞬間、両腕に深緑の《障壁》を宿す男が怒号を発し、常人ではあり得ない速度で突進して来た。
散弾銃の引き金を引くと、水風船が弾けるように頭部が爆発した。
直後、側面から圧倒的な熱気が発生した。
もがきうねる炎の奔流。人体など一瞬で灼き尽くせそうな、根源的な破壊の権化。
《念発火》、か――
無言の殺戮者は、そんな事実確認すらしたかどうか疑わしい程に、何の動揺も見せなかった。
ただ数人で一斉に発砲しただけで即座に掻き消えた。炎を存在させている大本の力を破壊した為だ。
そして無感動に弾丸を叩き込んだ。
爆炎の残滓の向こう側で血が弾けた。
兵士達は無言であった。その挙動からは何の感情も読み取れず、殺意すら感じられなかった。そして動作は迅速で、徹底的に無駄
がなかった。
残りの数人は、愕然とした面持ちで半壊した仲間の屍体を見ていた。それは自分が信頼し、絶対的な自信の根源であったものが、実はまったくのまやかしであった事を知った人間の顔であった。
直後に射殺された。
次の部屋でも、結果は同じであった。
《ビジター》達は、それなりに訓練を積んだ者だったらしく、扉から入ってきたものを包囲できるように陣型を整えていた。
まったくの無駄であった。
障壁は散弾銃に撃ち抜かれた。
光球は散弾銃に撃ち落とされた。
火焔は散弾銃に撃ち消された。
人体は散弾銃に撃ち砕かれた。
戦闘ではなく、一方的な殺戮。
十数秒後、その部屋に生きた《ビジター》はいなくなっていた。
殺戮者達は無感動にそこを後にした。
《ビジター》達の殲滅は、もはや時間の問題かに思われた。
それ程までに、あらゆる抵抗は意味を成さなかった。
しかし。
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