澱んでいる。濁っている。
 それは、腐臭と瘴気を引連れながら。
 煤けている。爛れている。
 てらてらと糸を引き、光を反射して。
 ――はは、ブタのクソだな。
 日の光に照らされ、醜悪さを余す事なく曝け出した街並みを眺めながら、眼を細めた。陽光をもってしても内部を照らす事の出来ない、巨大な闇。
 暗黒街。
 クズ共の群生地。
 薬物と血糊と吐瀉物と、人間の裡に溜め込まれた黒い澱。それらをぐちゃぐちゃにかきまぜて型に流し込めば、だいたいこの街のようなものが出来上がる。
 コンクリートとアスファルトで構築された肥溜めから眼をそらし、横を見遣る。
 女がいた。男のなりをしているが、ただ動きやすさを考えただけなのだろう。剣を俺に向け、恐い恐い形相をしていた。顔は……ハハ、上玉 だ。クソどうでもいいが。
 背後にガキを庇っている。
 ガキは棒切れみたいな腕で女の手にしがみつき、アル中のように震えていた。こっちの方も、金持ちの変態に気に入られるだけあって、加虐心を煽る顔だちだ。
「そこを、どいて」
 女が噛んで含めるように言った。苛立ちと焦りが見え隠れする。
「娼婦の分際で偉そうな口を聞くな」
 嘲りを言葉に乗せて吐き付けてやる。
 俺が通せんぼしている路地は、決して狭いわけではない。しかし女は俺を警戒するあまり、動く事が出来ないようだ。賢明な判断だ。願わくばそのまま動かないでいて欲しい。
 俺以外には聞こえないだろうが――この街に棲み付くクソどもの生活音に混じり、複数の足音がここに迫ってきているのがわかった。女とガキを追う、怖い怖いお兄さん達。もっとも、俺もその一人なのだが。
「そこをどいてよ!」
 女の手の剣がわずかに角度を変じ、刃が剣呑な光を放つ。構えはそれなりにサマになってはいた。マフィアお抱えの娼婦の中には暗殺者としての訓練も受けている者もいる。だがらどうという事もないが。
「きぃきぃ喚くな。ガキをよこせ」
 女の顔が引き攣った。
 返答は、刺突。
 空気を切り裂く音が、直前で半身になった俺の胸を掠めていく。
 刺突はそのまま横薙ぎに切り替わる。俺は即座に姿勢を落として斬撃から逃れた。掌を埃だらけの地面 に打ち付け、流れるように下半身を跳ね上げる。
 倒立しながら身を捻り、回し蹴りをブチ込んだ。
 革靴ごしながら、女の掌が砕ける感触が伝わる。
 ガキの悲鳴。
 腕のバネでバク転し、足で着地。前を見る。
 女が苦痛を噛み殺した顔でこちらを睨んでいた。
 ムカつくメスだ。
「手を煩わせるんじゃねぇよ売女が」
 吐き捨てる。
 勘に触ったのか、女の顔がサッと青くなる。意味の感じられない叫びを上げ、片手一本で剣を振りかぶった。
 俊足の踏み込み。だが怒りに任せた振り下ろしはあまりに稚拙。俺は右腕を振り上げ、手を女の太刀筋に難無く重ね合わせた。
 鋼の悲鳴。
 掌が鋭利な刃を受け止めた。駆動音と共に、機械仕掛けの指が刀身をがっちりと掴む。
 俺の右手は義手――それも、脳の電気信号とリンクした精巧なものだ。生身の左手に比べれば話にならぬ ほどレスポンスは遅いが、要は使いようである。
「死んどけ」
 言葉と共に殺意を吐き出す。同時に左腕が高速で翻り、手の中に拳銃が納まる。
 轟音。
 驚愕した女のツラが眉間を中心に歪み、膨張。後頭が爆ぜて血と脳と頭蓋骨のシャワーがまき散らされた。
 脳無し死体が崩れ落ちる。
「臭ぇモン飛び散らせてんじゃねぇよ」
 ひとしきりせせら笑うと、義手に持った剣を投げ付けてやる。
 鈍い音を立てて胸に突き立った。
「ひっ」
 喉が詰まったような、甲高い悲鳴。
 ああ、そういやお前も居たんだよな、ガキ。
 忘れててゴメンな、ガキ。
 向き直ると、頬を歪めて見せてやる。
「あ……あ……」
 アスファルトを踏み砕き、一気に肉迫する。ガキの半泣きヅラが急速に接近する。
 ――顔は傷つけるな、とかホザいてたな。
 突進の勢いを乗せた、鋼の拳を腹に叩き込んだ。カエルのような声を漏らして、ガキが吹っ飛んだ。はは、やっぱ軽いなぁ。
 コンクリートの壁に叩き付けられ、そのまま崩れ落ちると、今度は身を痙攣させてゲロ吐き始めやがった。
 どうしてお前らは、そう汚物をまき散らしたがるんだよ。
 腹に蹴りをブチ込もうと歩み寄った時、
「おい、いたぞ!」
 ばたばたと足音がした。無論、かなり前から俺の耳はそれを捉えてはいたが、頭の方で無意識に取捨選択をしていたのだろう。
 振り向くと、個性のないスーツ姿の一団が腰の剣をがちゃがちゃいわせながら駆け寄ってきていた。俺とガキの姿を見ると、一様に安堵と嫌悪の形に表情を変える。
「よう、お前らにしては早かったな」
 俺は頬を歪ませながら、ガキの首根っこを掴んだ。
「受け取りな」
 上手でブン投げる。集団の中から一際背の高い一人が踏み出てガキを受け止めた。
 ゲロがスーツに付いたのか、能面が僅かに歪む。だがすぐに無表情を取り戻した。
「女はどこだ」
 低く囁くような声で聞いてくる。
 横を指し示してやると、男は露骨に眉をしかめた。
「あの女は公平に裁かれなくてはならない。勝手に殺されては困るな」
 いい歳こいて裁判ごっこかよ。
「商品連れ出して逃げたんならどの道“処刑”だろうが。細かい事言うんじゃねぇよ」
「処刑と私刑は全く違う。それをわかっていないようだな」
「私刑の意味を知ってんのか? わかってねぇのはそっちだろ愚図」
 短く鋭い擦過音がした。
 鼻先に細剣の切っ先が突き付けられている。鼻がムズムズする。他の連中も、剣の柄に手を掛ける事で意思を示している。掟をコケにされちゃ黙ってられん、と言った所か。
 ゴミどもが。
 数秒間の対峙。だが、意外にも奴は剣を引いた。
「行くぞ」
 ガキを抱えたまま長身を翻す。物言いたげな部下の視線に対して「狂犬と言い争っても無意味だ」と、聞こえよがしに言った。
 はは、狂犬か。言い当て妙だな。
「さしずめお前らはただの“犬”ってとこか」
 男は一瞬足を止める。が、またすぐに歩き始めた。その自制心だけは褒めてやらんでもない。
 淫売女の死体は放置されていた。後でマフィアの掃除係が片付けるのだろう。この街の警察機構は金を見せれば尻尾を振る低能ばかりなので、放置しても別 に問題はないのだが。
 ――いや、一人いたか。そういう事に縁のない奴が。


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