「アブソリュート☆斬殺タイム、はっじまっるニャーン!」
 ……その一撃をかわせたのは、ひとえに篤の『常住死身』たる信条ゆえであった。「生きるため、常に命を賭けつづける」ということ。それはすなわち二十四時間臨戦態勢を維持するということに他ならない。
「むぅ!」
 瞬間的に藍浬を抱きしめると、横っ飛びにその場を離脱した。
 閃光。
 動体視力の限界を超える、フェムト時間単位での閃光が、凄艶な弧月を描いた。
「は〜ん? やっぱり思った通りだニャン! 諏訪原篤……キミは不意打ちが通用しないタイプの使い手みたいだニャン!」
 ――いずこか……?
 篤は、今何らかの攻撃を受けたことは理解していた。だが、敵がどこからどんな攻撃を仕掛けてきたのか、まるで理解できなかった。何もない空間に、突如として斬撃だけが迸ったのだ。
「ああっ! タグっち! も〜おダメでごわすよ〜今いいところだったのに〜!」
 射美が上を見上げ、手を振り回しながら抗議する。
「やあ射美ちゃん! 諜報活動御苦労さまだニャン! だけどサムライ少年の首は僕がいただくニャ〜ン!」
 どこからともなく響いてくる、タグトゥマダークの声。
 気配は、ある。すぐそばにいるのがわかる。だが位置は特定できない。
「さぁて、こんにちは諏訪原クン! 相変わらずウサ耳と仏頂面が合わなさ過ぎて精神的ブラクラだニャン! 前回は見苦しいところを見せちゃったニャン! リベンジマッチといきたいんだけど、僕の挑戦、受けてくれるかニャン!?」
 躊躇いもなく「よかろう」と答えるには、あまりに危険な匂いのする相手であったが……
 ――異存はない。
 篤は無言のまま重々しくうなずいた。
「グッド! そんじゃあ屋上にご招待だニャン! 最高のおもてなしを用意してるニャ〜ン!」
 そう言い残し、気配は遠ざかっていった。
 しばしの沈黙。
 やがて、攻牙が鼻を鳴らした。
「明らかに罠だな。悪役をやりなれてやがるぜあのイケメン野郎……」
 そして楽しそ〜ぉに笑った。
「『グッド!』に『ご招待』に『おもてなし』だと? 上等じゃねーかよオイ!」
 いきりたつ攻牙の目前に、篤の腕が伸ばされる。通せんぼの形だった。
「……なんだよ」
 篤はゆっくりと首を振った。ウサ耳が頭の上で揺れた。
「そ、そーでごわすよ。タグっちはマジで強いでごわすよ〜攻ちゃんは下がってた方がいいでごわすよ〜」
 射美が横から攻牙の腕を掴む。眉尻は下がり、ちょっぴりマジな顔である。
 攻牙は舌うちした。
「――超人的怪力。クレーターを作るほどの近接攻撃。エネルギー操作による遠隔攻撃。車に轢かれても傷一つ負わないバリアー。そしてそれらの原則にも当てはまらない超常能力――」
「こ、攻ちゃん……?」
「ナメてんじゃねーぞコラ。お前らバス停使いのスペックなんざとっくに学習済みだぜ」
 頬を歪め、尖った歯を見せる。
「ボクが何のために試験勉強ほっぽりだして駆けずり回ったと思ってんだ!」
 クックック……と含み笑いをする攻牙。
「学校中に仕掛けまくった対バス停使い用即死トラップの数々……火を噴く時がきたようだなあ……!」
「そ、そんなものをー!? ウソ、気付かなかったでごわす!」
「気付かれたら罠になんねーだろうがよ! ボクも屋上に行くぞ! 無力な一般市民扱いなんかお断りだぜ!」
「ううぅ!」
「篤! 文句はねーよな?」
 返事はなかった。
「……あれ? 篤?」
 篤はいなかった。
 しゃがみ込んでプスプスと湯気を上げている藍浬がいただけだった。

 ●

 ――ずっと。
 篤は階段を上りながら、自嘲していた。
 ――ずっと目を背けてきたのだ。
 避け得ぬ宿命。絶対の敵対者。
 そういうものは、存在する。
 ――愚かなことだ。
 本質の是非ではなく、篤自身のエゴによって、否定せざるを得ない敵。
 何が起ころうと、許してはならぬ敵。
 ――認めたくは、なかった。
 悪は倒さねばならぬ……篤のシンプルな倫理観は、そう告げている。
 だが、この胸の底から沸き上がってくる、冷たく引き攣れるような闘志は、それ以外の理由によるものだ。
 ――かの敵は、俺のありようを否定する。
 だから・・・、討とうとしているのだ。篤が殉じようとする「道」ではなく、さらに言うなら「正義」ですらなく、自分が否定されたくないがために・・・・・・・・・・・・・・・、篤はタグトゥマダークと相対するのだ。
 ――嗚呼、本当に、認めたくはなかった。
 自分を守るために、戦いたくはなかった。霧沙希藍浬のように、温かい微笑みですべてを受け入れたかった。本当の強者とは、何かを否定する必要がない者のことなのだ。
 ――だが、それは無理だ。
 タグトゥマダークは、恐らく、生涯をかけて否定せねばならない相手なのだ。
 ――霧沙希よ、どうやら俺は、お前のようにはなれない。
 その事実が、喩えようもなく、哀しかった。
 やがて、屋上へと通ずるドアが、目の前に出現した。
 力を込めて歩みを進める。
 ――俺は、ネコ耳を、許せない。
 扉を、開ける。

 ――やはり、似ている。
 夏の空の下、フェンスの上に悠然と立つタグトゥマダークの姿を見た瞬間、篤はそう思った。
 しなやかな痩身。長い手足。色素の薄い髪。そしてネコ耳。
 顔立ちも背格好も特に共通点はなかったが、その佇まいにはどこか、死への意思を感ずる。
 何らかの理由で、死に魅入られた者の立ち振る舞い。
 まるで鏡を見ているかのような、親近感と嫌悪感。
 そう、似ているのだ。篤とあっくんが似ているのと同じ程度に、篤とタグトゥマダークは似ている。
 だからこそ、許せない。
「うぇええるか〜む! 待って〜たニャ〜ン!」
 タグトゥマダークは、ゆくりと振り向いた。満面の笑み。
 眼が合う。空気が、ドロリと濁る。
「一人で来るとは感心だニャン! 武士道ってやつかニャン!? 超シブいニャーン!」
 足首だけの力で軽く跳躍し、宙返りしながら床に降り立つ。
 着地の際に音も立てない、羽毛のような動き。
 同時に、頭のネコ耳がぴょこんとお辞儀する。
 篤は、奥歯をかみ締める。
「――おぞましきかな、猫の化生。俺は何故か自分でもわからぬが、そのネコ耳をどうしても許せなくなったぴょん」
「へえ、そうニャン? 僕はキミの耳は嫌いじゃないけど、君自身は大嫌いだニャン」
 亀裂のような笑みを浮かべるタグトゥマダーク。
「先にバス停を抜くといいニャン」
 片足に体重をかけ、顔を傾ける。隙だらけの姿態。
「予言しておくニャン。戦いが始まったら、五秒以内にキミは地に膝をつくニャン」
 ――五秒、か。
 篤はどっしりと腰を落とし、右腕をゆっくりと横に伸ばした。前回のように、バス停を引き抜く手を押さえられることがないよう、間合いを確保している。
 ――充分だ。
「顎門を開け――『姫川病院前』!」
 腕が界面下に潜り込み、強壮に唸る鋼の巨鎚を握り締めた。
 青白く迸る電撃とともに、バス停を一気に引き抜く。荒れ狂う大気に、髪や衣服が暴れまわった。心地よい重量感が、腕に宿る。
 篤はタグトゥマダークを正面から睨み付ける。
「――我流、諏訪原篤だぴょん」
 口の端を吊り上げ、タグトゥマダークは応える。
「虚停流皆伝、タグトゥマダークだニャン」
 名乗りを終えて。
 ――いざ、尋常に。

「ニャァァァァァァンッ!」
「ぴょぉぉぉぉぉぉんッ!」

 かくて、ウサ耳とネコ耳の死闘が、はじまった。

 ――直後、篤の胸から、血煙が吹き上がった。
「がッ……!?」
 よろめきながら一歩二歩と後退り、片膝をつく。
「――あはは、一秒で片付いちゃったニャン」
 背後から・・・・、タグトゥマダークの笑い声が聞こえた。
 まるで、子供の失敗シーン満載なホームビデオを見ているような笑いだった。

 ●

「無音即時召喚……?」
「タグっちは、射美やゾンちゃんやディルさんとはちがうでごわす。ちゃんとしたおシショーさんについてって、キチッとしたバス停のあつかい方を習った人でごわす」
「だったらなんだってんだよ」
「バス停を呼び出すのに、いちいち召還文句なんか言う必要がないのでごわす。出ろと念じたときにはもう出ているでごわす」
「それは……」
 攻牙は一瞬で、無音即時召喚という特質がもたらす戦闘への利便性を考える。
「……ヤバいな」
「そう、ヤバいんでごわす。ヤバヤバでごわす。たぶん諏訪原センパイは何もできないでごわす」
「ボクにそんなことを言ってお前はどうしてほしいんだよ」
「タグっちに掛けあって、諏訪原センパイを死なせない方向で決着をつけてもらうつもりでごわす。だから攻ちゃんはその間に逃げて欲しいでごわす」
「お断りだな」
 躊躇なく即答。
「……どーあっても諏訪原センパイを助けに行くつもりでごわすか」
「ボクには思想も信念もねえけどな……それでも死の危険くらいじゃ止まってやらねえよ」
 攻牙は踵を返し、駆け出す。
 ……駆け出そうとして、後ろから肩を掴まれた。
「どーも忘れられてるみたいでごわすけど、射美はタグっちの味方でごわす。それに攻ちゃんは一見ただのショタっ子だけど、実はそうじゃないカンジでごわす。常識で考えてタグっちほどのバス停使いに一般人がなんかできるとは思えないけど、攻ちゃんはなんかやりそうでごわす」
 攻牙は、ゆっくりと、振り返った。
「ふふん。それで? 止めるのか? 力ずくで?」
「口で言ってもどーしよーもないカンジでごわす。しょうがないでごわす」
 射美は口を引き結んでいる。
 細い腕を頭上に伸ばし、叫んだ。
接続アクセス! 第七級バス停『夢塵原公園』、使用権限登録者プロヴィデンスユーザーセラキトハートが命ず! 界面下召喚!」
 眩い光が降り注ぐ。
「いいぜ来いよ! リターンマッチと行こうじゃねえか!」
 肉食性の笑みを宿す攻牙。
 この場に仕掛けた罠の数々を、脳内で瞬時にリストアップする。

 ●

 ――いかん。
 胸を走る、重い痺れ。触れてみると、赤くて熱い液体がべっとりと掌を汚した。
 横一文字に、掻っ捌かれている。
 すぐに後ろを向き、敵を視界に収めた。
「さて……」
 タグトゥマダークの踵は、アウトボクサーのようにゆるやかなステップを踏み始める。その手には、バス停などない。完全に手ぶらだ。
 バス停もなしにどうやってこの傷をつけたのか。どうやって背後に回ったのか。
 いや――
 そんなことはどうでもよい。
 今の攻撃に、殺気どころか攻撃の意志すら・・・・・・・感じ取れなかったのは、何故か。
 篤は、殺気を読める。意図的にせっぷくと隣り合わせの日常を送っていれば、死の匂いに対する予知能力とでもいうべき、特殊な嗅覚が発達してゆくのだ。だからこそ、下駄箱で藍浬を追い詰めていたときには、どこからともなく発せられてきた殺気を読んでいち早く回避行動にうつることができた。
 にも関わらず。
 今の一撃には、またく何の意志も感情もなかった。……読めなかったのだ。
「今の一瞬で、キミの脳裏にはいくつかの疑問が芽生えたかと思うニャン」
「むぅっ」
 タグトゥマダークは悠々としたフットワークで間合いを詰め始める。
 まっすぐではなく、横に回りこむような動きだ。時折自身も回転しながら、ゆったりとした動作で――その実不気味なまでに素早く――篤の周りを巡る。まるで、さまざまな角度から隙を探すように。
「普通は何も言わずに瞬殺するトコなんだけど……キミは何だかボクと似た匂いがするニャ。もうちょっと遊びたくなったんだニャン」
 円を描くように、篤の周囲を舞い進む。
「悠長だぴょん。それは油断と余裕を取り違えて破滅する者の言説だぴょん」
「ハハ、そうかもしれないニャン。でも諏訪原くん、キミを見ていると、それもいいかななんて考えてしまうんだニャン」
 子供のように、無垢な笑みを浮かべて。
「まるではじめて会った気がしないニャン。鏡を見ているような気分だニャン。最高に最悪な気分だニャン」
 それはいつしか、冷たい嘲笑と化す。
「きっと僕たちは、生まれたときから殺しあう運命だったんだニャン」
 ぎょるっ、と音を立てて、眼が見開かれた。
 ……その瞳孔は、縦に鋭く裂けていた。
 猫の妖眼。
 捕食者の眼差し。
「さあ、いい加減反撃のアイディアは閃いたかニャン? 僕をガッカリさせないでほしいニャン」
 身を低くして、彼は床を蹴る。地を這うような低姿勢で突進する。
 轟音は立たない。コンクリートが砕けもしない。
 だがそれは、内力操作系バス停使いの驚異的脚力が、損耗なく推進力に変換されているということだけを意味する。
 その証拠に、瞬きほどの間隙もなく、間合いがゼロとなる。
「むっ――」
 来るべき攻撃に備え、篤は『姫川病院前』を構える。
 構えようとするその腕が――唐突に血を吹き上げる。
「むむっ!?」
 ――まただ!
 殺意なき、斬撃。
 読めない太刀筋。
 明らかにおかしい。攻撃をする瞬間にすら何の殺意も漏出しないなど、この男が人形でもない限りありえない。
「ははッ! 混乱してるニャン!?」
 ――ッ!?
 その瞬間、まったく唐突に、殺意が迸った。篤の意識に、はっきりと加害の意志が感じ取られた。
 滅紫の斬閃が迸る。
 火花が咲き散る。
 反射的に掲げた『姫川病院前』が、一撃を打ち払ったのだ。
 防御、成功。
 しかしギリギリだ。今の一撃は殺意の漏洩があったおかげで先んじて対応できたが、かつて闘ったどの相手よりも速く、鋭く、精確な一撃だった。もう一度同じように防げと言われても、確実にできるとはとても思えない。
 だが、そんなことよりも――
 タグトゥマダークは軽やかに宙転し、間合いを取る。薄笑いが、消えていない。
 バス停も、持っていない。
 ――どういう、ことだ……?

 ●

「むぎゅ!」
「あうぅ?」
 特に速い動きだったわけではない。
 特に強い力だったわけではない。
 だけど、攻牙と射美は、その腕を振り払うことができなかった。
 ひんやりとした感触が、二人を柔らかく包み込んでいる。
「き、霧沙希センパイ……」
 射美が狼狽した声を上げる。二の腕と鎖骨に挟まれて、借りてきた猫のように縮こまっている。
「むぎゅっ! むぎゅっ!」
 攻牙に至っては神話的弾力の側面に顔を押し付けられて呼吸困難に陥っていた。
「あのね、二人とも。聞いて?」
 藍浬はゆっくり寝物語を語るように、言葉を紡いだ。
「二人は、諏訪原くんのことは好き?」
 攻牙がもがくのをやめた。
 射美はバツが悪そうに眉尻を下げる。
「そ、それは……」
「むぎゅう……」
「わたしは、好き」
 大切にしまっていた宝物を取り出すように、藍浬は言った。
 穏やかに、口元が綻ぶ。
「だから、これはお願い。ケンカはやめて、諏訪原くんを助けるのに手を貸して、くれない?」
「ううぅ……」
 射美は口をにゃむにゃむと波線の形にし、悩んでいるようだった。
「タグっちを裏切るわけには……」
「ふふ、鋼原さん、そうじゃないわ。誰も怪我をしないような落としどころを決めましょうってこと」
 藍浬は破顔して、射美に頬擦りをした。
「うにぃ〜」
 眼を細めながら、射美は潤んだ瞳で藍浬を見た。
「……なまえ」
「うん?」
「なまえ、射美は射美って呼んでほしいでごわす」
「いいわ……射美ちゃん。手を貸してくれる?」
「んにゅふぅ〜、よろこんで♪」
「むぎゅう!」
 そんな簡単でいいのかよ、と攻牙は思った。

 ●

 わかったことがある。
 第一に、タグトゥマダークはやはりバス停を使って攻撃してきているということ。どういう仕組みなのかはわからないが、普段は素手だというのに、攻撃の瞬間だけバス停の刃が出現するのだ。
 第二に、タグトゥマダークの攻撃には、殺意があるものとないものの二種類あるということ。
 殺意があるほうの斬撃は、スピード、精度ともに凄まじく、敵の圧倒的実力を感じさせるものだった。殺意があるおかげで先読みの防御がどうにか間に合うのだが、連続で来られると恐らく防ぎきれまい。
 殺意がないほうの斬撃は、一変して質が落ちる。急所を狙ってくるわけでも、神速を誇るわけでもないお粗末なものである。しかし、殺意がないというのはただそれだけで脅威だ。ほとんど何のリアクションもできずに食らってしまう。
 ――遊ばれているな。
 そう思う。
 恐らく、息もつかせぬ連撃で畳み掛けられると、篤は瞬時に細切れになっていることだろう。タグトゥマダークは、一撃入れるごとに間合いを取り、こちらが体勢を立て直すのを待ってから次の行動に移っているのだ。
「第二次わくわく☆尋問タイム、はっじまっるニャーン!」
 またなんか言い出した。
「問い10:キミと僕は似てる感じがするニャン。けどそれは何故だと思うニャン?」
 迸る殺意。反応して、篤は得物を横に構える。
 瞬速の踏み込みと、彗星のごとき一撃が、滅紫の軌跡を描いた。
「応えて曰く:死。絶対なる終わり。それを見ざるを得ぬ者。最大の共通項はそれだぴょん」
 激突。散華。輝く粒子が舞い散る。篤は足を踏みしめて耐える。
 タグトゥマダークは追撃をかけようとせず、飛び退った。
「問い11:キミと僕は違う感じがするニャン。けどそれは何故だと思うニャン?」
 矢のごとき殺意。反応して、篤は体を半身にする。
 一息に、三回。三条の刺突が閃光の形を取って篤の姿を貫いた。
「応えて曰く:死に対する姿勢の違い。生を苦とし、死に向かう者。生を美とし、死を利用する者。その差異だぴょん」
 貫かれた篤の姿は残像。本物は一歩ずれた脇でバス停を振りかぶる。
 その瞬間、前触れなくこめかみが血を吹き出した。篤は弾かれたようにのけぞる。鋭利な傷跡が残った。殺意なき斬撃だ。
「問い12:似ていながら違う人を目の当たりにすると、なぜこうも殺意が沸いてくるんだニャン?」
 滲み出る殺意。篤は――防御も回避も期さず、ただ無造作に踏み込む。
 旋回とステップを駆使した、円舞のごとき横薙ぎが来た。冥い紫の平面が、視界を二分した。
「応えて曰く:己の悪意ある模倣を見ている気分になるのだぴょん……ッ!」
 最初の二撃を肩から背中にかけて受け、斬り裂かれるのにも構わず猛然と突進。
 何の脈絡もなく脇腹と太腿から血が噴出するが、無視。
「問うて曰く!」
 下手に避けようとせず、逆に前進したのが功を奏した。斬閃の内側にもぐりこむ。
 下からすくい上げるように、総身の力をひとつにして、『姫川病院前』を振るう。
「貴様はなぜ死を希求するぴょん!」
「ッ!?」
 着弾。
 吹き荒れる〈BUS〉の狂風。爆音が世界を軋ませる。
 芯を捉えた打撃の反動が、篤の全身を駆け抜けてゆく。
 空が、広がる。タグトゥマダークの体は天高く浮き上がった。
 きっちりとバス停で防御しているようだが、体全体にかかる衝撃はどうしようもない。望まぬ滞空を強いられているようだ。
 その間、篤はバス停を振り抜いた姿勢から、流れるようにコンクリート塊を後方に向けた。そしてギターを持つように支柱を両手で握り締め、空中の宿敵を睨み付ける。
「応えよ! タグトゥマダーク!」
 瞬間、地面に向けられたコンクリート塊が爆裂。〈BUS〉をガスバーナーのように噴射し、篤の体を上空へ射出した。押し広げられた大気が白い輪を形作り、噴進する篤の軌跡を強調する。
 空中のタグトゥマダークへと。
 一直線に突貫する。
 腹の底から、必殺の気合が迸り出る。
 ここから放つ重撃は、回避不能の空中において、確実に敵手を粉砕することだろう。
 腕に力を込め、接触の機を待つ。
 瞬間、タグトゥマダークの体が空中でくねり――消えた。
「っ!?」
「――吠えれば」
 かすかな声。
 背後から、声。
「勝てるとでも?」
 三日月が、嘲笑いながら走り抜けた。
 優美な軌跡の踵落としが、篤の脳天を捉え、叩き落した。
「ごッ、が……!」
 頭の中で超新星爆発。
 受身も取れず、屋上に叩きつけられる。一瞬遅れて、業火に焼かれるような痛みが全身を舐め始める。
 篤は意識が暗くなってゆくのを自覚した。
 が――篤は目を見開いた。
 白く、長く、ふわふわしたものが、視界に垂れさがってきていた。
 ――おぉ。
 それは、美なるもの。
 ――おぉ……!
 侵されざるもの。侵されてはならぬもの。
「お、お、おぉ、ぉぉぉ、おおおおおおおおおぉ……!」
 叩き潰され、薄汚れ、赤く染まり、力なく。
 もはや、ぴんと伸びることもなく。
 本来ならば汚れもなく純白であったはずのそれは。
 ウサ耳は。
 篤の、誉れは。

 ●

 屋上に足を踏み入れたその瞬間に、攻牙は状況を看破した。
 血まみれの篤。なぜか膝立ちで天を見上げている。その頭から生えるウサ耳は、片方が折れて顔面に垂れ下がっていた。白毛の中から、おびただしい内出血の様子が透けて見えた。
 タグトゥマダークは笑っている。嘲っている。
 要するに、頭に何らかの攻撃を受けて大切なウサ耳が折れちゃった、の図らしい。
「左耳……左耳よ……! あぁ――なぜ! なぜお前がかくも無残な仕打ちを受けなければならないぴょん! こんな俺ごときに気高く美しい輪郭を授けてくれたお前が、なぜ……! この世には、神も仏もないのかぴょん……!」
 血涙でも流さんばかりの無念を滲ませ、篤は唸った。
 ――ホントになんなのコイツ!
 攻牙は頭を抱えた。
「おぉ、耳左衛門みみざえもんよ……お前の無念は哀切となり、我が胸の裡に涙の花を灯すぴょん……」
 ――ウサ耳に名前をつけだした!?
 どこまでも理解を拒む男、諏訪原篤。
「はっは! 折れちゃったニャン! 潰れて血を流して折れちゃったニャン! もうどうしようもないニャン! ウサ耳人間としてのキミは今死んだニャン!」
 タグトゥマダークは嗜虐に満ちた笑顔で篤を睨み付けている。
「まだ僕の踵には感触が残っているニャン! 命中の瞬間、耳左衛門くんが苦しみ悶え肉が潰れ血を吐き散らし絶望のうちに息絶えるその感触が! 踏みにじり、穢し尽くした感触が! 僕の頭の耳音みみねちゃんと耳美みみみちゃんも悦び震えているニャン!」
 お前もか!
 センスの欠片も感じられない命名である。
「まだだ――」
 篤が、低く呟く。
 立ち上がる。
「まだ俺には、耳右衛門みみえもんがいるぴょん……!」
「笑止だニャン! 僕には耳音ちゃんと耳美ちゃんがいるニャン! 相方を喪った手負いごときに勝てる道理はないニャン!」
 タグトゥマダークは、姿勢を極限まで屈め、猫科の捕食者じみた構えを取る。
 その手にバス停はない。
 ――無音即時召喚ってやつか。
 普段は界面下にバス停を隠し、攻撃の瞬間だけ実体化させるのだ。
「その綺麗なウサ耳を、造作もなく刈り取ってやるニャン!」
 そして――消えた。
 超スピードで掻き消える……という感じではなく、本当にその場で消え失せたのだ。
 攻牙は直感する。
 ――ははぁ、なるほどね。
「篤! 後ろだ!」
 そうして、初めて攻牙は声を上げた。
「むう!?」
 篤はその言葉通り、旋回しつつ振り向きざまに『姫川病院前』を叩き込んだ。
 閃光の炸裂。そして轟音。
「ニャにッ!?」
 タグトゥマダークの狼狽した声。篤の打撃を、自らのバス停で防御している。
 彼の下半身は、何もない空間にぱっくりと開いた次元の裂け目の中にあり、見ることができない。上半身だけがニョキッと生えている状態だ。
 ――見た瞬間わかったぜ。
 自ら界面下に潜り込み、死角から襲い掛かる。
 ――それが虚停流ってわけだ。
 わかってしまえばなんてことはない。奴が界面下に潜航している間、こちらからは見えもせず攻撃もできないが、それは奴とて同じこと・・・・・・・・・・。対処法さえわかっていれば決して慌てるような代物じゃない。
「篤! 奴が唐突に消えた時は十中八九背後から襲い掛かってくる! 気をつけとけ!」
「むう、そうであったか……ぴょん」
「無理に語尾つけんな!」
 どんだけ気に入ってるんだよ。
「ふぅん、ずいぶん鋭い観察眼を持ってるじゃニャいか」
 タグトゥマダークは音もなく地面に降り立ち、冷徹な視線を攻牙に向けてきた。縦に裂けた猫の妖眼が、冷たい殺意を宿す。
「邪魔だニャ、キミ」
 一瞬身を屈め、跳躍。一瞬で十五メートル以上の高みに至ったタグトゥマダークは、右腕を界面下に突っ込んでいた。上空からの急襲をかけるつもりか。
 攻牙は緊張に身を強張らせた。
 と同時に、違和感を覚える。
 ――なんだ?
 なぜ奴は跳躍している?
 普通に駆け寄って斬り捨てればいいだけの話ではないか。飛び込み攻撃が強いのは格闘ゲームの中だけの話だ。途中で止まることのできないジャンプアタックは、現実では死に技である。動きが読まれまくるから。
 にもかかわらず、なぜ?
 ――まるで、そこに障害物でもあるかのように。
「虚停流初殺――」
 空中で身をよじり、刃を抜き降ろしてくる。
 攻牙は飛び退る――が。
 雷光より眩く鋭い、垂直の軌跡。
「くあ……!」
 頬から腹にかけて、赤い線が刻まれる。痛みではなく熱を発する。
 間に合わなかった。だが浅い。致命傷には程遠い。
 見ると、タグトゥマダークはバス停を振り下ろした勢いのまま界面下にしまい込み、その姿勢のままさらに踏み込んできていた。
「――〈燕天地〉」
 吹き上がる、斬光。
 初撃から第二撃までの間に当然あるべきタイムラグは、すべてキャンセルされていた。体感的には、ほとんど同時に振り下ろしと振り上げが来たように感じられる。
 回避不可。
 防御不可。
 ――おい! こんな序盤で負傷イベントかよ!
 などとメタ思考で現実逃避してみるも、いやいやこれは負傷どころか確実に死ぬ感じの攻撃ですぞと脳内執事(元傭兵)が上申してくるのを聞き流しつつこれちょっとマジやばくねえかよオイこれどうすんだよオイ!
 攻牙はこういうとき、脳内に第二第三の自分を作り、一瞬でそいつらと相談するという癖があった。
 ――脳内有象無象ども! てめーらの意見を聞こう!
 即座に脳のあちこちから意見が上げられた。「受け入れろ。ここはそういう世界だ」と大脳辺縁系在住の脳内暗殺者が吐き捨て、「死とは一種の相転移に過ぎない。恐れるなかれ」などと海馬在住の脳内武術家が嘯き、「君の死は作戦の範疇だ」と脳幹における本能のうねりを監視していた脳内陸軍士官は冷徹に丸眼鏡をクイッとやり、「お前の死を乗り越え、俺は必ず世界を救う!」と脳下垂体に巣食う脳内魔王と対峙していた脳内勇者は涙の決意を固め、「あの、あれだから、いわゆるその、あれ、なんていうかなぁ、バッドエンド? デッドエンド? とにかくそういう感じでな、もうあれだな、せっかく女の子が二人もいるのにフラグの一つも立てないからこんなことになるんだぞバカだなぁアッハッハ」と視床下部の狭間で寝そべっていた脳内親父が爽やかに笑った。なんでここにいるんだ穀潰し。
 鋼鉄のひしりあげる悲鳴が、攻牙の益体もない思考を中断させた。
「……!?」
「くうっ!」
 同時に、前から何かがぶつかってきた。
「わぶっ」
 誰かの背中だ。
「攻ちゃん! 怪我は!?」
 ――え。
 背中ごしに聞いてくるその甘ったるい声は。
「……お前」
 鋼原射美!
 バス停『夢塵原公園』を構え、タグトゥマダークの斬り上げを受け止めている。
 なんか身を挺して庇われてしまったようだった。
 ――くそっ! ちょっとカッコいいじゃねえか!
 射美のくせに! ちょっとこれ弱すぎだろ(笑)などと第二部で嘲笑されたであろう鋼原射美のくせに!
「不愉快な空気を感じるでごわすー!」
「気のせいだ! それよりお前いいのかよ! 明らかに裏切り行為だぞ!?」
「うっ、それは……」
「何も考えてなかったのかーッ!」
 ――瞬間、気温が急激に下がった。
 攻牙と射美は、はっと前を見る。
 タグトゥマダークがバス停を界面下にしまい、軽く首を傾げて射美を見下していた。
「えっと……何なのかニャ? 射美ちゃん。ちょっと僕混乱してるんだニャン。君のその行為がどういうつもりなのか、よくわからないんだニャン」
「た、タグっち……」
「あ、うん、わかってるニャ。射美ちゃんのことだからきっと何か事情があるんだニャン。悩みがあるならお兄さんに言ってみるニャン?」
 頬が引き攣れ、笑みを刻む。しかし、眼は笑っていない。
「あ、あのぅ……」
「うん」
「実は……」
「うんうん」
「す、諏訪原センパイと攻ちゃん、殺さないような方向で済ませられないかなぁ〜、なんて……思ったり?」
「え?」
「だ、だから、誰も殺さなくても、いいんじゃないかなぁ、って思ったんでごわす」
「え???」
「うぅ〜! 殺すのやめてくださいって頼んでるんでごわすぅ!」
「え?????????」
「ううううううぅぅぅぅぅぅぅ〜!」
「死ね」
 界面下より抜停し、おもむろに斬撃。
 微塵の躊躇いもなく。
 恐らくは、射美がどう応えようが仕掛けるつもりだったのだろう。それほどまでに太刀筋は冷たく、耽美なまでに残虐だった。
 射美は、眼を見開き、凍り付いていた。
 が――
「ぴょんッ!」
 横合いから、凄まじい力で突き飛ばされる。「わっ!」「きゃんっ!」攻牙と射美は宙を舞い、倒れ伏した。
 見れば、今度は篤が『姫川病院前』で処刑の一撃を受け止めていた。硬質の激突音と同時に、異なる意志に統御される二振りのバス停が反発して光の粒子を撒き散らした。
「二人とも、無事かぴょん」
「無事じゃねー!」
「うむ、何よりだ。急いで立つぴょん。油断は禁物ぴょん」
「てんめえ……」
 攻牙は跳ね起きる。
 そして競り合う二人を見る。
 タグトゥマダークのバス停が、今ようやく、姿を現していた。その看板部位には、タグトゥマダークの得物の真名が、克明に刻み込まれている。
 『こぶた幼稚園前』。
 攻牙は思わず脱力して倒れ伏した。
 いいけどさ!
 別にどのバス停を使おうがいいけどさ!
 次に目に入ったのは、敵のバス停の握り方である。
 基部のコンクリート塊を先端に据えて振り回す握り方を「逆持ち」と言うらしいが、タグトゥマダークの握り方は「逆手持ち」とも言うべきものだ。コンクリート塊のすぐ近くを持ち、小指側から刃となる看板が伸びている。
 バス停を持つ拳が地面に向く形で、振り下ろしていた。
「せいッ!」
 〈BUS〉の光が激発する。
 篤が力任せにバス停を押し込み、相手を突き飛ばしたのだ。
 しかし、
「ふむ……やっぱり力比べじゃかなわないニャン」
 体制を微塵も崩すことなく、タグトゥマダークは着地する。
 血塗れの篤は、据わった眼でそれを見ている。
「今……何をしようとした……」
 重い声で、篤は問いかける。
「え? はぁ? 僕なんかやったかニャン? 気のせいじゃないかニャン?」
「何をしようとしたのかと聞いている!!」
 一喝。
 空気が帯電したように震えた。
「……不愉快だニャン」
 タグトゥマダークは眉間に皺を寄せた。
「下位者の裏切りを処断するのになんでキミごときの了解を得なけりゃならないんだニャン? 弁えろよ学生クン」
「よくわかったぴょん」
「へえ、そりゃ何よりだニャン」
「……貴様が恐るに足らん匹夫であるということがな」
 二人は険悪などというレベルを超えた視線を交し合う。
「あんまりナメた口聞いてると楽に死ねないニャン?」
「問題ないぴょん」
 篤はバス停を構えた。
「部下の諫言を裏切りとしか認識できない卑小な男に、負ける気はしないぴょん」

 ●

 ――憎悪とは。
 タグトゥマダークは、第九級バス停『こぶた幼稚園前』を握り締めながら、思った。
 ――憎悪とは、変革の力だ。
 己の体が、内側から作り変えられてゆくかのような錯覚を味わう。
 まったく身に覚えのない、強力にして清爽な意志の奔流だ。
 それが、タグトゥマダークの四肢に常ならぬ力を与えていた。
 だが、当の本人は、その恩恵に違和感と不快感しか抱けなかった。
 ――僕を支えてきたのは、憎悪の力だ。
 ――いつだって、憎しみの力で、夢月ちゃんを守ってきた。
 組織に入る前から。バス停使いになるより前から。
 ただの無力な子供であったころから。
 貧乏とか賠償金とか酒浸りとか節くれだった拳とかなぜか消えてる上履きとかヒステリックな悲鳴とか学校の便器の味とか陰口とか、その他いろいろな醜いものから、妹を守るために。
 ――僕は、憎悪を選んだ。
 いやいや。不幸自慢は趣味じゃない。
 ただ、絶望ではダメだった。うまく利用すれば凄まじくえげつないマネができたのかもしれないが――恐らく、自分は、絶望を御せる器ではない。手首に残る無数の傷が、それを証明している。
 ――で、あるわけだから。
 タグトゥマダークは、いつしか憎悪にどっぷりと依存していたのだ。頭から爪先まで、ことごとく。自分と夢月へ陰惨な悪意を浴びせてきたカスどもに、生まれてきたことを後悔させるために。
 だからこそ、今の自分の状態には違和感を感じていた。
 この、腹の底から湧き上がってくる、なんだかよくわからない力。
 勇壮な活力。
 これは、憎悪なのか?
 タグトゥマダークの本能は、この問いに否と応える。
 この力は、憎悪にしてはあまりにも澄み渡っている。
 勇気などという唾棄すべきものが、体の中に漲ってゆく。血液の中に熱く溶けた鉄を流し込まれたような、この感覚。
 総身に、迷いのない力が宿る。まったく身に覚えのない力が。
 ――クソくらえだ。
 タグトゥマダークは、体の中に残る憎悪を奮い立たせた。
 ――僕が力を得たのは、自分が高みに至るためじゃない。
 心なしか尖ってきた歯を軋らせ、目の前の少年を睨みつける。
 諏訪原篤。存在自体がタグトゥマダークを否定しつくす、人の形をした覚悟。
 ――自分以外の全てを、自分より下に引きずりおろすためだ。
 こんな、綺麗で健全な力はいらない。全てを壊し、汚し、貶め、そして最後には自分も一緒に沈んでゆくのだ。後に残るのは夢月だけで良い。
 ――あぁ……夢月ちゃん。
 ――僕は勝つよ。君のためじゃない。君を守りたいという、僕の滴る欲望のために。
 体中の、殺戮の螺子が、きりきりと巻き上げられる。雄々しい精神の力を、ぎちぎちと締め上げる。
 そして、思う。
 ――いつからだ?
 いつから自分は、こんな愚にもつかない鮮烈でまっすぐな精神に汚染されてしまったのだ?

 ●

 手を出すべからざる闘いがあるということを、攻牙はよく理解している。(今まで読み漁った無数の少年漫画から)
 人は皆、その生涯の中でただ一度、己のためだけの敵と出会うのだ。
 社会にとっての共通敵ではもちろんなく、他の誰かと協力して倒すべき敵でもなく、ただ自分だけが狙い、自分だけを狙ってくる敵。
 自分のためだけに、宿命が用意した敵。
 そういう奴はやっぱり居て、お互いに血色の糸で結ばれているものらしい。
 だから――攻牙は迷う。
 篤に手を貸すことは、果たして正解なのか?
 介入は、できる。やろうと思えば。
 驚異的身体能力と、ダンプカーに撥ねられても無傷でいるであろう防御能力、謎のエネルギーを用いた多彩な攻撃能力。バス停使いの驚異的なスペックは、確かに普通の人間が手出しできるものではないかのように見える。おまけに攻牙の戦闘能力は、体格の問題で常人以下だ。
 普通なら勝負にもならない。
 だが、攻牙は知っている。
 篤や射美から口先三寸で聞き出した情報と、自分の目で見た実感が、頭の中で理論を形作り、正解を導き出す。
 攻牙は、バス停を使わずしてバス停使いを倒す方法を知っている。
 そしてそのための罠は、屋上にも仕掛けられている。
 というか、屋上にこそ重点的に仕掛けられている。どうやらバス停使いたちは、自分たちの存在が公になるのを恐れているらしい。であるならば、普段人目につきにくい屋上が戦場となるであろうことは、簡単に予測ができた。それ以外にも、体育館の裏とかトイレの個室とか学校の裏山とか、とにかく人気のない場所はすでにトラップ地獄と化している。さすがに学校以外の場所にまでは手が回らなかった。その点については運がよかったと言えよう。
 だから、罠はいつでも発動できる。各所に設置した防犯用赤外線センサーのスイッチを入れれば、今この瞬間にでも対バス停使い用即死トラップの数々は牙を剥く。
 だが――それは果たしてやっても良いことなのか?
 攻牙は眼の前の闘いを見る。
 蒼い稲妻を体中に纏わりつかせる篤と、冥い紫の妖炎を立ち上らせるタグトゥマダーク。
 二人は対峙しながら、ゆっくりと間合いを詰めていた。
 ――なんかすごく宿命っぽいぞ! 絵面的に!
 この闘いに、立ち入ってもいいものなのか!? 少年漫画的ケレン味は、攻牙の行動原理の根幹を成すファクターであるからして、「認めた宿敵には自分以外の誰にも倒されてほしくない」という戦士のわがままに対しては物凄く理解がある。つもりだ。
 このまま手出しは控え、見届けるべきだと思う。
 だが、介入すべき理由も、ある。
 第一に、タグトゥマダークがいまだに無傷であるという点。スピードやテクニックという要素では、篤はまったくついていけてない。
 もちろん、篤がこのまま成すすべもなくやられるようなタマではないことはよく知っている。追い詰められてからが本番と言っても良い。常時死に身の精神力は、ここぞというところで爆発し、小賢しい理屈を吹き飛ばすことだろう。しかし――果たしてそれだけで、この圧倒的力量差を覆せるものなのか? 攻牙はそこが読みきれない。さすがにそれは、どんな頭脳の持ち主でも読みきれない。
 第二に、攻牙自身の問題。
 攻牙は、ちらりと横を見る。
 鋼原射美。悪の組織の尖兵。轢殺系吐血美(?)少女。
 地べたにへたり込んで、俯いている。
 ――あぁクソッ! こいつが凹んでるとこはじめて見たよ畜生!
 攻牙は苛立たしげに頭を掻く。
 まぁ、なんというか、タグトゥマダークとは気安い間柄だったのだろう。毎日の弁当もタグトゥマダークが作ってたらしいし、射美の中では兄貴的なポジションだったのではないかと思う。相手も自分を妹のように考えていると、そう思っていたとしても不思議はない。それが、たった一度敵をかばっただけで即座に見切られ、「死ね」の一言と共に仮借なき一撃を浴びせられれば、普通はショックを受ける。
 動転して、虚脱する。
 ――あぁもう! こういう雰囲気苦手なんだよなぁ!
 その時、脳内暗殺者が「自業自得だな」と吐き捨てた。「思慮に欠け、自分の行動に責任を持たない女だ」……その通りだ。
 正論だ。
 返す言葉もない。
 だが――それで実際どうするんだ?
 こいつがアホだってことはわかったよ。それで? ボクが聞きたいのはその後だ。その後どうするんだ・・・・・・・・・? 見捨てるのか? このまま放置しとくのか?
 そういう判断で、何か意味のある結末を手繰り寄せられるのか?
 攻牙は、思う。
 ――ヒーローは……こういう甘ったれを見捨てない……んだろうなぁ。
 具体的に何がしてやれると言うわけでもないけれど。
 でもまぁ、タグトゥマダークをふんじばって、もう一度、面と向かわせるくらいのことは、してやれるかもしれない。
 そうしたいと思っている、自分が居る。
「攻牙よ!」
 篤の、声。
 タグトゥマダークに険しい視線を注いだまま、こちらに声をかけてくる。
「なんだ!」
「手は、出さないでほしいぴょん」
「……」
 むぅ。
 やっぱりか。
「だが、口は出してほしいぴょん」
「……は?」
「この男の技を読んでほしいぴょん」
「つまりセコンド役か」
「ウイグル語で言えばそうなるぴょん」
「違うぞ!? 英語だぞ!?」
「それから鋼原よ!」
 隣で、射美がビクッと身を震わせた。
タグトゥマダークは・・・・・・・・・決して無謬の存在ではない・・・・・・・・・・・・!」
「え……」
「奴の言に飲まれるな。お前自身が判断しろ」
 そう言うと、『姫川病院前』をタグトゥマダークに向けた。
 剄烈なる眼差し。
「さぁ、ゆくぴょん。次の交差で、必ず貴様を打ち倒すぴょん」
「へえ、状況はわかってるのかニャン? 何か反撃のアイディアでも?」
 タグトゥマダークは妖眼をすがめ、頬を歪めていた。
「そんなものはない!」
 ないのかよ。
「だが、部下への対応ひとつで、貴様が恐るに足りぬ輩であることはわかったぴょん」
「……面白いことをホザく人だニャン。そんだけズタボロじゃなかったらかっこよかったかもニャン」
 異様に肥大化した牙が覗いた。
「別にかまわないニャン? そんなに自信があるんならかかってくるニャン?」
 構えを解き、傲然と胸をそらす。
「言われずともそうするぴょん。ただし、その時貴様は地面に倒れ伏しているぴょん」
 静かに壮言を呟くと、篤は『姫川病院前』を大きく後ろに振りかぶり、腰を落とした。
「――渾身せよ、我が全霊!」
 ゴォッ――と音をたてて、蒼く輝く〈BUS〉の雷光が荒れ狂った。篤を中心に大気が押し広げられ、悲鳴を上げながら逆巻いている。
 その、無闇にドラゴンボールじみた光景を前に、
「あれ?」
 ……攻牙は、妙なものを見た気がした。
 いや、具体的に何を見たとも言いがたいのだが……篤の闘気が広範囲に放射された瞬間、模様≠フようなものが空間に浮かび上がったのだ。
 丁度、鉄粉が磁場の形を浮かび上がらせるように、何かの形≠ェ微かに姿を現した。
 ほんのわずかな歪み。目の錯覚として斬り捨てられるレベルの、異変と言うほどのこともない違和感。
 しかし、攻牙は看過しなかった。逆転勝利の秘訣は、伏線を見逃さないことである。
 ……それは、ゆるやかな弧を描く曲線、のように見えた。曲線の周囲の光景は、微妙に歪んでいる。
 わずかに体を傾けて視点を移動させてみると、それに合わせて歪みの位置もずれてゆく。
 要するに、可視光線を歪ませるような何か・・が空中に存在し、浮いているのだ。
 謎の曲線は、戦場の至るところで浮遊静止していた。その数は二十個を軽く超えている。
 ――はは〜ん? こいつは……
 気配を察したのか、篤が視線だけをこっちに向け、
「ハラショーロシア?」(意訳:何か気づいたのか?)
 別にいきなりロシアの赤い竜巻と化したわけではない。
「ハラショーロシア! ハラショーロシア!」(意訳:なんだか知らねえが変なものが浮いてやがるぜ!)
 半年ほど前、超高校生級武闘派不良集団『衛愚臓巣徒』との壮絶な暗闘を繰り広げた際、攻牙が考案した暗号言語である。
 独特の文法と千以上に渡る豊富な語彙を誇り、敵に悟られずに作戦会議をすることができる優れものであった。
 ……そうか?
「ハラショーロシア……? ロシアハラショー?」(意訳:浮いている……? どういうことだ?)
「ハラショーロシア? ロシロシア?」(意訳:闘ってる間に前触れもなく傷を負ったなんてことはなかったか?)
「ハラショー、ハラショー、ハラショーロシア」(意訳:むむ、殺意なき斬撃を受けたことはある)
「ハーラショ〜ゥ!」(意訳:SO☆RE☆DA!)
 その後、「ロシア最高ロシア最高ロシアロシア最最高最高ロシア」と手早く作戦会議を交わし、
「ハラショーロシア!」(意訳:よしこれで行くぜ!)
「ハラショーロシア!」(意訳:心得た。合図は頼む)
「ディス・イズ・ア・ペン!」(意訳:勝利を我が手に!)
「ディス・イズ・アン・アッポォ!」(意訳:勝利を我が手に!)
 何なのこいつら。


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