集合場所は、以前鋼原射美の介抱をした公園に決定した。
「きーりさーきセーンパーイ! こんにちはでごわす〜♪」
「はいこんにちは。……あら、ふふっ」
 電話で呼び出された鋼原射美は、真っ先に藍浬に飛びつくと、頬と頬を擦り合わせた。
「うに〜」
「もう、くすぐったいわ、鋼原さん」
「霧沙希センパイのお肌はヒンヤリしてて気持ちいいでごわす♪」
 射美と藍浬が会うなりユリシーズ空間を形成しだしたのを尻目に、(ついでに血走った目でその様を凝視している謦司郎も尻目に)篤と攻牙はさっき立ち寄ったコンビニの紙袋を漁って中身を取り出していた。
「……それでどういうつもりなんだ篤この野郎。まさかみんなでお茶しましょうってだけじゃねえよな?」
「正直ただそれだけというのも悪くはないとは思うが、まぁもう一人のアドバイザーが到着するまでは普通に昼食を楽しもうではないか」
 篤が攻牙の携帯で呼び出した人物は、二人。
 一人は敵方の尖兵であるところの鋼原射美。
 そしてもう一人は、
「いったい誰を呼び出したんだよ?」
「お前たちの知らない男だ」
「ふふん?」
「わっ! なにこれ超カワイイでごわす〜!」
 射美があっくんとたーくんを見つけたようだった。
「みゅう!?」
「あっ、逃げないでほしいでごわす〜!」

 ●

「やあ篤くん。お待たせしたね」
 声がした。
 振り返ると、青年が一人、立っていた。
「お久しぶりです勤さん。お怪我はすっかり良くなったようですね」
「いやまぁ、半分は君にやられた怪我なんだけどね。もう万全だよ」
 それは、篤に普段から兄貴分(笑)として慕われている『亀山前』のポートガーディアン(笑)、布藤勤の変わり果てた姿だった(笑)。
 篤は沈痛そうに目を伏せる。
「あぁ、こんな変わり果てた姿になって……」
「いやいや、もう万全だって。どこも怪我はないよ」
「ボロボロに薄汚れてないなんて、まるで人間みたいだ……」
「あたかも僕の基本形態がボロ雑巾みたいな言い方やめてくんない!?」
 勤は一同を見渡しはじめた。
「……いやそんなことより」
 攻牙と藍浬はコンビニ弁当のパセリをあっくんの前で誘うように振っている。射美は指をわきわきさせながらたーくんを追い掛け回していた。かすかに聞こえてくる「……フフ……ヘヘ……」という忍び笑いは、どうせホットドッグを目の前にした謦司郎が卑猥な妄想をたくましくさせているのだろう。
「彼らは? 友達かい?」
「えぇ、そのようなところです」
 篤は四人に向き直ると、
「皆、本題に入るとしよう」
 浪々とした声で宣言した。
 藍浬があっくんを胸に抱きながら勤を見た。
「ふふ、はじめまして。諏訪原くんの級友の霧沙希と言います」
「あ、あぁ、どうも」
 勤は頭を掻く。篤はそのさまを見ながら、うなずいた。
「この人は俺の村に唯一存在するバス停『亀山前』のポートガーディアン、布藤勤さんである。ほれ、みんな拍手で出迎えるのだ」
「「わー」」
 ぱちぱちぱち。
 勤は照れくさそうな笑みを浮かべた。
「やあやあ、どうも、ご紹介にあずかりました布藤勤です。あぁ、どうもどうも。本日はこのような催しにお招きいただきありがとうございます。布藤勤、布藤勤でございます。盛大な拍手ありがとうございます、ありがとうございます」
 そして咳払いをひとつ。
「それでは歌います」
「皆、勤さんがお帰りだ。拍手でお送りしろ」
「「わー」」
 ぱちぱちぱち。
「ちょっ、やめて! 調子こいてすいませんでした! 拍手やめて!」
 と、いうわけで、全員が席に着いた。
 射美が面白そうに眼を輝かせる。
「ほへー、ポートガーディアンの方でごわしたかー。政府の犬さんおつかれさまでごわす♪」
「うむ、この人は一級地脈鑑定士の資格を持っている、わりかしエリートな方のポートガーディアンだ。色々と謎を解き明かすヒントをくれることだろう」
「ちょ、ちょちょちょちょっと待ってくれ篤くーん! ななななんで《ブレーズ・パスカルの使徒》の一員がこんなところにいるんだい!?」
 勤が明らかな引け腰で叫ぶ。両腕で顔を隠すように庇い、射美から五歩くらい距離をとった。その上全身から脂汗が出る始末。
 ビビり過ぎである。
「うふふ〜、射美は絶賛スパイ活動中でごわすよ〜♪」
「……ということらしいので、こちらとしても彼女を利用することにしました。まぁ希望的観測としては恐らく近づいても基本的には噛み付かないと思われるので安心です」
「がう〜」
 曲げた指を威圧的に掲げて猛獣っぽいポーズをとる射美。
「安……心……?」
 勤は頭を抱えた。
 篤は構わず話を進める。
「それで、鋼原よ」
「はいはい〜♪」
 射美が両手を挙げて、屈託ない笑顔で答える。
「この町にいる《ブレーズ・パスカルの使徒》は……つまり、当面俺たちと事を構えそうな十二傑は、あと何人いる?」
「射美を含めて四人でごわす〜」
「各自の詳細を教えてくれ」
「んん〜っと〜……」
 顎に人差し指を当てて、射美が語る。
 一人目、タグトゥマダーク。
「いつもみんなのごはんを作ってくれるイケメンなお兄さんでごわす♪ 地方征圧軍での序列は第八位。超・めっさぽん強いでごわす♪」
 二人目、ディルギスダーク。
「いつも独り言をブツブツ言ってる変テコなおっちゃんでごわす♪ 地方征圧軍での序列は第六位。超・めっさぽん・ファンタスティック強いでごわす♪」
 三人目、ヴェステルダーク。
「いつも決断がやたら早い射美たちのリーダーでごわす♪ 地方征圧軍での序列は第三位。超絶・めっさぽん・ファンタスティック・エクセレント・ロマンティック強すぎワロタでごわす♪」
「篤くん! 逃げよう!!」
「いきなり何ですか勤さん」
「ヤバいよ! ヴェステルダークって! ちょっとシャレにならないよ! 逃げよう! 今逃げようすぐ逃げようナウ逃げよう!」
「落ち着いてください敗北主義者」
「言い切った!? いやいや、ホントにまずいんだって! 彼は《王》の一人だ! 僕たちとは存在の次元が違う!」
「何ですか《王》とは……いや、だいたいわかります。強いバス停使いなんですね」
「そんなレベルじゃないんだよぉ〜!」
 言い争う篤と勤を尻目に、攻牙が射美に問いかける。
「そういやお前の序列は何位なんだ?」
「……な、なんと上から数えて十一番目でごわす!」
「……」
 嫌な笑みを浮かべる攻牙。
「ムキィーッ! その顔やめてでごわす〜! 地方征圧軍十二傑がその名のとおり十二人しかいないなんてことは攻ちゃんは知らなくていいでごわす〜!」
「その四人は、現在どう動いている?」
 篤が、逃げようとする勤を組み伏せながら言った。
「えっと、確か〜」
 タグトゥマダーク:ヴェステルダークが借りたボロ借家で料理洗濯掃除に邁進するついでに、篤を抹殺しようと動いている。
 ディルギスダーク:あちこち飛び回ってなんかしてる。あんまり家には帰ってこない。なにしてんのか不明。
 ヴェステルダーク:ボロ借家の居間で地図とノートを広げてなんかしてる。《楔》がどうとか言ってたけどなんのことかわかんないでごわす〜。
「つ、使えねえ……」
 攻牙が目頭を押さえながら呟いた。
「えっと、それで射美は〜」
「いや、もういい。お前はスパイ活動なのだろう。わかっている」
 篤も目頭を押さえながら言った。
 というか、味方の行動をあっさりバラすあたり、組織における射美の立ち位置がわかった気がした。
「……ええと、つまり」
 篤に普段から兄貴分(笑)として慕われている『亀山前』のポートガーディアン(笑)、布藤勤は腕を組んでシリアス顔(笑)を取り繕った。逃走は諦めたらしい。
「やっぱり、彼らの目的は《楔》なのか……」
「知っているのか勤ーッ!?」
 篤が叫んだ。
「なんでいきなりタメ口なの!? ……いやそれはともかく、篤くんはポートガーディアンじゃないから《楔》については知らないんだったね」
 ……と、いうわけで、ここから布藤勤の《楔》講座が始まるわけだが、すでにヴェステルダークの話の中で説明してしまったのであり、読者的には不要極まりないシーンである。
 よって省略。
 布藤勤、空気の読めない男である。
「……と、いうわけでこの地域のどこかに、皇停と呼ばれる《楔》が隠されているのさ!」(すごく得意げ)
「ふむ、所在不明のバス停、『禁龍峡』か……」
「あーあー、なんかヴェっさんがそんなこと言ってたような気がするでごわす〜」
「どーも話が見えねえな」
 攻牙がログテーブルに頬杖を突きながら言った。
「それと篤のウサ耳と何の関係があるんだ?」
「あぁ、それについては、似たような例が五十年ほど前にあったらしいよ」
 ……と、いうわけで、ここから布藤勤の『昭和タヌキ騒動ぽんぽこ事件』講座が始まるわけだが、すでにヴェステルダークが説明してしまったのであり、読者的には不要極まりないシーンである。
 よって省略。
 布藤勤、空気の読めない男である(笑)。
「……と、いうわけで、大地震とそれに伴うタヌキ化現象は、皇停『禁龍峡』の暴走が引き起こしたことであると考えられているんだ!」(超得意げ)
「超かわゆい〜!」
「ぐぎゃあ!」
 なぜか攻牙の頭を抱えて一緒にクルクル回りだす射美。
「離せバカヤロウ! 何なんだよ一体!」
「攻ちゃんがタヌキさんになったトコ想像してうっかり萌えたでごわす〜♪」
「ボクをネタに腐った妄想すんな!」
 篤が勤に向き直る。
「つまり、この誉れ高きウサ耳も、『禁龍峡』が暴走した結果であるということですか?」
「そうだね、それ以外はちょっと考えづらい。何らかの特殊操作系バス停使いによる攻撃かとも考えたけど……」
「あ、それはないでごわすよ〜」
 もがく攻牙の頬をムニムニしながら射美は言った。
「タグっちとディルさんは内力操作系だし、ヴェっさんは外力操作系でごわす。射美の能力もそーゆーのじゃないでごわすし」
「いい加減離せコラーッ!」
「あだっ! か、噛むなんてひどいでごわす〜!」
 向かい合ってふしゅぅ〜ッ! と威嚇しあう射美と攻牙。
「ふむ、では『禁龍峡』の暴走で決まりだな。恐らく、タグトゥマダークにも俺と同様の症状が現れているのだろう」
 篤はそう締めくくると、あっくんの耳にたーくんが猫パンチでじゃれかかっているさまを見た。
 おもむろに、そこへ手を伸ばす。
 たーくんは篤の手に驚いて「みゅ!?」飛び退ったが、あっくんは落ち着き払った様子で身を起こした。
 申し合わせたかのように掌へとよじ登ってきたあっくんを、今度は頭の上へ運ぶ。
 すると命じられたわけでもないのに、あっくんは頭を移動してウサ耳の間へちょこんと身を落ち着けた。
「ふ……」
 安らいだ微笑みを宿す篤。
 その様子を、全員が微妙な表情で眺めていた。
「……なんでお前は兎を頭に乗っけてご満悦なんだ……」
「美しく、気高い生き物だ。月の住民と呼ばれるのも頷ける」
「お前はもう語尾に『ぴょん』とでもつけてろよ!」
「わかったぴょん」
「やっぱいい! やめろ!」
「冗談だぴょん」
「……」
「……ぴょ、ぴょん」
 周囲を、重苦しい空気が包み込んだ。
「お……い……? 篤くん? ま、まさか……」
 やや青い顔をする勤。
「……付けるつもりはないのだが付けてしまうぴょん」
 腕を組んで眼を閉じる篤。
「ちょっ! これ……もうこれ! 病院! 救急車!」
 攻牙は頭を抱えた。
「まずいな……これはどんどんウサギ化が進行する流れだよ絶対」
 汗をかく勤。
「どうやら見つけ出すしかねえようだな……『禁龍峡』をよ」
「えぇ〜! いいじゃないでごわすか。諏訪原センパイ、カワイイでごわすよ〜」
 射美の不満げな声に、篤もうなずく。
「うむ、俺も特に不都合は感じていないぴょん」
「いや良くねえだろ! どーすんだよこのままウサギになっちまったら!」
「むしろ功徳くどくというものだぴょん。俺はその運命を安らぎと共に受け入れるぴょん」
 仏像みたいなアルカイック・スマイルを浮かべる篤。
「もう多分バス停は使えなくなるぞ!?」
「大事なのは力ではないぴょん。決意と、覚悟だぴょん」
「まっとうな生活を送れなくなるんだぞ!?」
「営みがどのように変わろうと、俺の魂は変わらないぴょん」
「手の構造もウサギ化したらドスが持てなくなるぞ!」
「む……それは困るぴょん」
「なんでそこで引っかかるんだよお前は……」
 疲れた声を出す攻牙。
「切腹は己の魂を純化するのに必要不可欠な儀式だぴょん」
 篤は、哀愁が染み込んだ溜息をつく。
「……ままならぬものだぴょん。致し方がないぴょん。ウサギ化するにせよ、人間にとどまるにせよ、『禁龍峡』は見つけ出さねばならないようだぴょん」
 とりあえず、そういうことになった。

 ●

 帰りのバスに揺られながら、篤は物憂げな様子で外の景色を眺めている。
 脳裏には、ふつふつと取り留めのない思考が去来している。
 今までのこと、これからのこと、自分がウサギになると知ったら霧華はどんな顔をするだろうかということ、あとウサ耳だと頭が洗いにくくなるなぁということ。
 そして、タグトゥマダークのこと。
 あの男も、自らの運命を知っているのだろうか?
 数多くの人間がひしめくこの世界で、自分と彼だけが獣化しつつあるということに、何か意味があるのだろうか?
 どこか、対比のような構図を感ずる。
 そして、想像する。タグトゥマダークが、ネコ耳を生やしたところを。
「うグッ……」
 なんかこう、こみあげてきた。グラシャラボラス的衝動が。
 ――想像以上に、不愉快な心象だ。
 別段ネコ耳そのものが醜いわけではない。子猫のたーくんは大変かわいらしい生き物だと篤も思う。しかし、その耳がよりにもよってあの男についているという事実には、冒涜的なものを感じる。この世の美なるものへの冒涜だ。
 ――死にたい! 死のう!
 フラッシュバックのように、その声が蘇る。
 つばを飲み込んで、吐き気を押し戻す。
「篤くん」
 隣の席にいた勤が、声をかけてきた。
「ぴょん?」
「いや、『ぴょん?』って……」
 気を取り直すように咳払い。
「実は、みんなの前では言っていなかったことなんだけど……」
「なんですぴょん?」
 どことなく躊躇うような勤の口調に、篤は振り返る。
 なんとも言いがたい苦みばしった表情だった。
「霧沙希藍浬という子のことだ」
「霧沙希がどうかしたんですかぴょん?」
「彼女は、その、《楔》の場所を知っているんじゃないのかい?」
「……おっしゃっている意味がよくわからないのですぴょん」
「いや、ただの憶測なんだけどさ。話を総合すると、彼女があの猫と兎を拾った瞬間、君とタグトゥマダークという人に獣耳が生え出したんだろう?」
「正確な時刻はわかりませんが、その可能性は高いと思いますぴょん」
 篤は、思い出す。
 ――そういえば、《楔》についての話が出てから、藍浬は妙に口数が少なかった。
「じゃあ……もう、答えは出てるんじゃないかな」
 沈黙が、二人を包み込んだ。
 電信柱の影が、断続的に通り過ぎてゆく。
 バスは、開けた田園地帯に差し掛かっていた。
 篤は、窓の外に眼を向けた。
「勤さん」
「う、うん」
「夕陽が綺麗ですぴょん」
「……そ、そうだね」
「夜になれば、月明かりが闇の底を青く浮かび上がらせますぴょん」
「うん」
「……俺は、美しいものが好きですぴょん」
「うん、知っている」
「友誼や、信頼といったものも、美しいと思いますぴょん」
「うんうん」
「勤さんは、どう思われますかぴょん?」
 篤は、再び勤に眼を向けた。透徹した眼差しだった。
 両手を挙げながら、ため息をつく勤。
「……わかったよ。君の好きなようにするといい。上へはひとまず報告しないでおく」
「ありがとう、ございますぴょん」
 バスが、『亀山前』に到着した。

 ●

 翌日、いつもよりかなり早く(具体的には朝の四時)家を出た篤は、校門前で腕を組んで佇んでいた。
 すでに二時間近く立ちっぱなしである。
 この時間に登校してくるのは、運動部の朝練に参加する生徒のみなので、ほとんど人気はない。
 ――霧沙希は、毎日かなり早い時間に登校してくる。
 彼女曰く、誰もいない教室に差し込む朝陽はとても詩的……とのこと。
 確かに、なかなか、悪くない。
 涼しく澄んだ空気と、その中に溶け込む陽光。反射して煌めく草木。こんな時間でも、どこかでニイニイゼミが鳴いていた。
 まだ損なわれてはいない、夏の日の匂い。
 ――おぉ、その素朴なる花鳥風月よ。
 これからは、毎日この時間に登校するつもりである。趣深いこの光景は、早起きのモチベーションという点で重要だ。
 とにもかくにも、確認はしなければならない。霧沙希が今回のウサ耳事件に関与しているのかどうか、篤は確かめるために早起きをしたのである。
 やがて。
「あら? 諏訪原くん、どうしたの?」
 桜吹雪に揺れる鈴――その音色のような声がした。
「霧沙希か」
 すでにかなり前から、涼しげな気配が歩み寄ってくるのは察知していた。
 艶やかに揺れる黒髪。ふくふくとした笑み。
 盛夏だというのに、彼女の周囲だけ春の薫風が吹いている気がする。
「お前を待っていたぴょん」
 事実、彼女が具体的に何時に登校してくるのかわからなかったので、篤は実に朝の四時半からここで立ちっぱなしであった。
 藍浬の足が、止まった。
 軽く眼を見開いている。
「え……っと……」
 声に、多少の困惑が見て取れた。霧沙希にしては非常に珍しい反応である。
 ――これは、やはりそうなのか?
 篤としては、今回のウサ耳騒動の原因を、即藍浬のせいだとは考えていなかった。が、この反応を見る限り、何らかの関係はあるのかもしれない。
「どうして?」
 困ったように微笑みながら、そう探りを入れてくる。
「お前が知る必要はないぴょん」
「ええ……? ふふ、なにかしら。気になるなぁ」
 これは韜晦しているのか、それとも本当にわからないだけか。
 どちらとも取れる表情である。
「お前はすでに、心当たりがあるのではないかぴょん?」
「よく、わからないけど……」
 頬に手を当てる。心なしか、目が伏せられている。
 隠し事のある人間は、他人と目を合わせたがらないものだ。これはやはり黒なのか。
 ――勤さんの言う通りに。
 だが、それだけでは彼女が犯人だと断定するには弱い。
 嘘をついている眼には、形而上の濁りがある。篤は、そういうものを見抜く動物的な感覚が優れていた。あっくんのように、種族も違えば言葉も通じぬ存在とすら分かり合えたのだ。霧沙希藍浬相手にそれができぬはずもない。眼は口ほどにものを言う――実際にはそれ以上だと篤は考える。
 ――もしも俺が、攻牙や鋼原ほども天才であれば、言葉から真実にたどり着くこともできたかも知れぬ。
 だが、自分にはそんなことはできない。
 ――ならば致し方あるまい。
「霧沙希、俺を見るぴょん。眼を見るぴょん」
「ぇ……?」
「さすればお前が成すべきことは自ずと知れるぴょん」
「諏訪原くんを……見ればいいの?」
「うむ。俺の眼を見るのだぴょん」
「よくわからないけど、了解です」
 大きな黒曜の瞳が、篤の眼にぴたりと合わされた。まっすぐで、清澄な視線。人の心の邪念を見透かして、その上で許すような、静かだが力強い眼力だ。
「うぅむ」
 篤は思わず唸る。
 いつか辿り着きたいと願う境地を、藍浬はごく自然に体現している。
「美しい……」
「えっ」
 藍浬の頬に、さっと朱が差した。
 その瞬間、
 ――むむっ、瞳に邪念が入った……!?
 篤の気配センサーは、彼女の中に「動揺」と「秘密」の匂いを感じ取った。
「ふっ……馬脚をあらわしたな、霧沙希よ」
「えぇー……?」
「これからずっと、お前の近くにいることしたぴょん」
「す、諏訪原くん……っ? えっと、あの、本当に、どうしたの……?」
「そして毎日こうしてお前を見ることにしたぴょん」
「ま、毎日……?」
「うむ、毎日だぴょん」
 ざわり、と。
 周囲の空気が一変した。
 喧しいニイニイゼミの鳴き声が、フッと消え去った。
 花の香りが、涼しい風に乗って漂い始める。
 早朝とはいえ汗ばむほどの気温だったのが、なぜか今は心地よい適温だ。
 辺りの草木が、その枝葉の先で一斉に蕾を膨らませ、母を求める赤ん坊の手のように開花し始めた。早回しの映像じみた光景であった。
 空を染める桜の並木。
 地を彩る菜の花の絨毯。
 ぽつぽつと控えめに灯る、タンポポやカタクリ、雪割草。
 霧沙希藍浬を中心に、色彩豊かな世界が広がってゆく。温かく、ぼやけて、にじんだ世界。
 奇妙なことに、遠くの山々や隣の小学校などは、夏の風景のままだ。異変は、彼女の周りに限定されている。
 まるで、彼女の中で折りたたまれ静止していた春の時間が、一気に展開したかのように。
 ――これは……どうしたことだ……?
「からかわないでよ、もう……」
 藍浬は、自分の両頬に手を当てて、拗ねたような、怒っているような、輝いているような、微妙な眼を向けてきた。
 それから、藍浬は逃げるように駈け出した。
「あ、こら、待つぴょん」
 遠ざかってゆく足音。
 ともなって、急激に春の世界が閉じていった。
 気温が上がり、セミの声が響き渡り、花々は最初からなかったかのように閉じていった。
 幻惑的な春の色彩は、強い日差しを吸い込んだ深緑へと戻ってゆく。
 夏の時間が、戻ってくる。
「ふぅむ」
 篤は顎に手を当てて考える。
 しかし約十秒の熟考の末わかったことといえば「考えてもわからない」ということだけだった。
 と、その時。
「むっ……!?」
 地面が、揺れ始めた。視界が軽くかき混ぜられる。草木がざわめき、ちらほらと葉が落ちてゆく。
 不安を煽る、その律動。
 だが、持続したのはほんの五秒ほどだった。ほどなく地震は収まり、常態を取り戻す。
「……うーむ」
 とりあえず、藍浬を追いかけることにした。

 ●

「にゃふー、それじゃあ今度こそ諏訪原クンをブッ殺しにいってきますニャン」
 タグトゥマダークは、相変わらず頭にタンポポ咲いていそうな笑顔で言った。
「いってらっしゃいませお兄さま。せいぜい失敗しないようにお気をつけ下さいね」
 夢月が玄関先まで見送りに出てきてくれた。なかなかに珍しいことである。
「うん、がんばるニャン!」
 ――結局、ネコ耳について出来ることは、現時点では存在しないらしい。
 ヴェステルダークが『禁龍峡』を見つけてどうにかするまでは、このまま語尾に「ニャン」をつけるという死にたくなるような生活を強いられるようだ。
 タグトゥマダークは、息を吐きながら昨晩のことを思い出す。
 帰ってきた射美には笑われるし撫でられるしプラスチックの猫じゃらしで遊ばれるし、ディルギスダークには「現代医学の敗北」とか「オタ文化への主体なき追従」とか「フィギュア萌え族」とかひどい言葉を散りばめた陰鬱なマシンガントークで精神的に追い詰められるしで、何度死のうと思ったことか。
 しかしそれでも、最終的には気分が落ち着いた。
 なんつってもヴェステルダークに任せておけばいずれ解決する問題なのだ。わりかし気は軽い。
「あぁ、でも私は正直心配ですわ……」
「ははは、夢月ちゃんは心配性だニャア。でもうれしいニャン」
 夢月は頬に手を当てて、憂いに満ちた目を伏せる。
「お兄さまは道中でシオカメウズムシに捕食されないかしら……」
「どうしてそこでゾウリムシ扱いされなきゃならないのか全然わかんないニャン!」
「捕食されればいいのに……」
「願望になった!?」
 夢月はそこで小さな肩をすくめた。
「はぁ、それでは戦に臨むにあたっての重要なアドバイスをひとつ」
「うん! うん!」
「首級が見苦しくなるので口は閉じておきなさい」
「うわぁい! 夢月ちゃんは本当に心づかいが細やかだニャア! 死にたい! 死のう!」
「それから……」
 不意に、夢月は歩み寄ってくる。
「ん?」
「はい、これ」
 手渡されたのは、神社で売ってそうなお守りであった。
「買いましたわ。安物ですが、身につけておいてくださいませ」
「あの、うれしいんだけど、これ交通安全のお守りだよね……?」
「あら、安産祈願のほうが良かったかしら?」
「何を生ませるつもりなの!?」
 ひしっと。
 唐突に、夢月はタグトゥマダークの胸元にしがみついた。
「ちゃんと、帰ってきてくださいね」
「……うん」
「夢月を一人にしないでくださいね」
「うん、大丈夫だニャ」
 両腕で、そのあまりに小さな肩を包み込んだ。
 温かかった。

 ●

 ハイパーミニマム高校生であるところの嶄廷寺攻牙は、その日いつにも増して沈鬱な気持ちを抱えて登校していた。別段、いくら牛乳を痛☆飲しようが一向に成長する気配のない我が身を儚んでいたわけではなく、もっと別の事情であった。
「いやこれもうヤベーよこれマジやべーよ勉強してねえよ昨日も全然!」
「昨日の今日ですべきことを忘れるなんて、攻ちゃんはほんとうにオロカな生き物でごわすね♪」
「そういうお前はやったのかと言いたい!」
「……そーいえば昨日家に帰ったらタグっちやっぱりネコ耳生えてたでごわすよ〜。指でつっつくとパタパタ暴れて超キュートでごわした♪」
「ネコ耳で遊ぶあまりやってなかったんだな! すっかり忘れてやがったんだな!」
「……夏休みなんて……無意味な慣習でごわす……」
「すでに夏を諦めてたーッ!」
 校門をくぐり、下駄箱へ向かう。
 と、そのとき。
 こちらに向けて駆け寄ってくる足音がひとつ。
「あっ、霧沙希センパーイ♪」
 射美が声を弾ませる。
 黒髪を大きく揺らして駆け寄ってきたのは霧沙希藍浬だった。
 珍しく息を乱し、胸元を押さえている。
「はぁっ、はぁっ」
 二人の前にたどりつくと、膝に手をつきながら息も絶え絶えに言った。
「攻牙くん、鋼原さん、た、たすけてくれない……?」
 攻牙と射美は顔を見合わせる。
「な、何があったでごわすか?」
「ついに敵襲かー!」
「ち、違うの……諏訪原くんが……」
「?」
 ――だっ、だっ、だっ、だっ……
 異様なほど規則正しい足音が、近づいてくる。
「あ……追いつかれちゃう……」
 さっと二人の後ろに隠れる藍浬。
「――ようやく追いついたぴょん。観念するぴょん」
 落ち着いた声。
 白いウサ耳をまぶしく揺らしながら、諏訪原篤がターミネーターT-1000のごとく突進してくる。
 そして唖然としている攻牙と射美の前で立ち止まり、二人の背後にいる標的を冷静な視線で貫いた。
「さあ、出てくるぴょん。そして大人しく俺の眼を見るぴょん」
「いやお前はいきなり何を言ってるんだよ!」
 篤は攻牙に眼を向け、鼻を鳴らした。
「攻牙、そこをどいてほしいぴょん。俺は常に霧沙希を視界に納めていなければならぬぴょん」
「な、なんでだよ」
「一言で言うと、眼と眼で通じ合うためだぴょん」
 攻牙は頭を抱えた。
「病院! もうこれ病院行こう! いいから! 病院!」
「落ち着くぴょん。俺は乱心してはおらぬぴょん」
「今のお前じゃ何を言っても説得力ねえんだよ!」
 と、そこで攻牙は肩をちょいちょいと引っ張られた。
 振り向くと、射美が眼を輝かせている。
「まぁまぁ攻ちゃん。これはアレでごわすよ、スウィートな青春イベントという奴でごわすよ」
 にゅふふ、と口に握った手を当ててほくそ笑む射美。
「いっやー、まさか諏訪原センパイがこんなセッキョク的なアプローチをするとは、いっやー、この海のイルミの目をもってしても見抜けなんだわーでごわすー!」
 ――リハクなめんなよコラー!
 と攻牙は突っかかりたかったが、
「〜〜〜〜っ!」
 背後から聞こえてくる変な声に気をとられた。
 首を絞められたハムスターの悲鳴じみた声だった。
「え?」「う?」
 射美と同時に背後を見る。
 ……藍浬が両手で顔を覆っていた。
「わ、わ、わた、わたっ」
 うつむきながら、か細い声で。
「わたし、困る……かも……そんな……急に……」
「うむ、お前にも負担をかけるかもしれぬが、どうしても成さねばならぬのだぴょん」
 篤はずいずいと歩み寄る。
 その気迫に圧されて、攻牙と射美は思わず後ずさる。
「さあ、その顔を見せてくれぴょん。俺は霧沙希の心を知りたいのだぴょん」
 篤は手を伸ばし、藍浬の細い手首を包み込んだ。
 藍浬はぴくんと身を震わせ、ゆっくりと手を顔から離してゆく。
 徐々にあらわになるかんばせ。紅潮した頬。リスのように引き結ばれた口。指の隙間から覗く潤んだ瞳。
「や、やっぱり無理〜っ」
 篤の手を振り払うと、脱兎の勢いで走り去る。
「待つぴょん」
 素早く腕を伸ばし、逃げようとする藍浬の肩をつかむ。
 そのままぐいと引き寄せ、自分のほうへと向かせた。
 両手が藍浬の両肩を捕らえる。
 藍浬の背中が、下駄箱に押し付けられた。
「ま、待って諏訪原くん! これはちょっとおかしいわ。何がともいいがたいんだけど、何かがすごくおかしいと思います……!」
「もはやお前を放さないぴょん」
「勘違いしちゃう……そんなこと言われるとわたし勘違いしちゃうから……落ち着いて! きっとどこかですれ違いがあるんだと思うっ!」
「その通りだぴょん。だからこそこうやって、誤解や欺瞞なき関係を築く儀式を行うのだぴょん」
「……きゅう」

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 ――この瞬間、紳相高校を中心とする半径一キロの範囲で、気候や植生その他の環境が一時的に春になるという不可解な超常現象が観測された。
 超法規的秘密財団法人『神樹災害基金』の中枢機関は、この事実を厳粛に受け止め、大規模なお花見大会を決行することにした。


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