バス停使いの闘術は、大別すると三種に分類される。
 物体の内部に存在するエネルギーのベクトルを操作する『内力操作系』。
 物体による介在を必要としない、純粋な熱量を操作する『外力操作系』。
 そして、上記のどちらにも該当しない特異な現象を引き起こす『特殊操作系』。
 篤のストレートな白兵戦術は『内力操作系』であり、ゾンネルダークの土竜裏流れは『外力操作系』の技である。
 そして、セラキトハートは。
 ――うわぁぁん、こんなハズじゃなかったのにィ〜!
 半泣きになりながら、怒涛のような篤の攻勢に耐え続けた。
 彼女は内力操作の技も、外力操作の技も、さして得意なほうではない。そのへんにいる凡百のポートガーディアンどもと大差のない戦力だ。(例:ボロ雑巾)
 だが、もちろんそれだけならば十二傑の一角に数えられるわけはない。
 セラキトハートと、彼女が契約したバス停『夢塵原公園』には、特別な才能があった。
 特殊操作系能力――〈臥したる鋼輪の王アンブレイカブル・ドミナートゥス〉。
 他のバス停使いがいくら修行を積もうが決して得ることのできない唯一無二の技。
 ……彼女は、この世のすべてのバスを操る。
 バスという車両の形状が、流体力学的に完璧な構造をしていることは周知の事実であるが、これは別に空気抵抗うんぬんの対策をしていたわけではなく、地中を大蛇のごとく這う〈BUS〉の流動を効率的に捉えて推進力に変換するためなのである。つまりバスとは、ガソリンで動く自動車とはまったく違う存在なのだ。その駆動原理はどちらかというと帆船に似ている。
 〈臥したる鋼輪の王アンブレイカブル・ドミナートゥス〉は、一時的にバスと〈BUS〉のつながりを絶つことができる能力だ。地脈から解放されたすべてのバスは、『夢塵原公園』から放出される〈BUS〉にのみ影響を受け、セラキトハートの思うがままに動き回る。……地上のあらゆるものを蹂躙し爆走する、魔獣の群れと化すのだ。
 完全に発動したならば、辺り一面を更地に変えるほどの壮絶な破壊力を発揮する。
 あくまで発動すれば、の話だ。
 ――普段なら負けないのに〜!
 爆音と爆光と爆圧がセラキトハートを打ちのめし、その身を大きく後退させた。
「くぅ……!」
 地面に二本の溝を刻みながら、彼女はそれに耐える。
 セラキトハートが一方的にやられている理由は簡単だ。近くにバスがないのである。
 彼女がここまで乗ってきたバスは、攻牙に目潰しされた腹いせに意味もなく一刀両断されて機能を停止していた。
 ――マズったでごわす〜! あんなことするんじゃなかったでごわす〜!
 後先考えないまま衝動に生きる少女、セラキトハート。
 というか、仮に篤と戦うハメにならなかったとしても、たったひとつの移動手段であるバスを自分で破壊して、その後どうするつもりだったのだろうか。どうにも「ア」で始まり「ホ」で終わる言葉が似合う奴である。アイダホ。
 ――能力の範囲内にバスがひとつもないとか、どれだけド田舎なんでごわすかこの辺!
 とにかくバスを探さなければならない。バスさえあれば勝てる。
 そんな観念に囚われたセラキトハートは、能力の走査範囲をさらに拡大する。その分、篤の攻撃を受けるのに使う力が割を食うことになるが、背に腹は変えられない。
 『夢塵原公園』との感応をさらに強め、付近一帯の〈BUS〉の流れに沿って霊的な感覚の手を伸ばしつづける。
 ……だが、それは篤を前にして、あまりにも愚かしい決断だった。
「オォ――ッ!」
 篤が、吼えた。腰を低く落とし、背中が見えるほど身を捻り、しかし爛々と戦意に満ちた眼差しをこちらに向けながら。
 これまでとは段違いの〈BUS〉感応が、双方の髪や衣服をはためかせる。目を開けているのが辛くなるほどの雷光が、篤のバス停を蒼く明滅させている。
「渾身せよ、我が全霊!」
 號音。
 大瀑布のように、土砂が跳ね飛んだ。〈BUS〉の内力操作によって超身体能力を得た篤が、大地を蹴り砕いたのだ。爆裂したグランドの土は、上空十数メートルの高さにまで巻き上げられる。
 隕石の衝突現場のごとき光景をバックにして、篤がこちらにカッ飛んで来る。
 コマ落としのように、一瞬にして視界の大半を篤が占める。
「わひっ……」
 咄嗟に『夢塵原公園』を掲げることができただけでも、奇跡に近かった。
 だが――

 ●

 結局のところ。
 セラキトハートの敗因とは、実力でも相性でもなく、いらん策を弄して物事を楽に済ませようなどと考えた点である。
 ごく普通に篤との約束に従い、尋常な勝負に臨んでいたならば十分に勝ち目はあったし、その後悠々と藍浬を拉致することもできたはずである。
 物事の優先順位を明らかに間違えていたのだ。
 そのせいで攻牙と謦司郎の介入を許し、すべての計画が台無しとなった。
 だが、それは何故だったのか?
 なにゆえに彼女は障害の排除そっちのけで藍浬を手に入れようとしたのか?
 そこに、何か意味があるのか?

 ●

 視界が、白く塗りつぶされた。世界から、一切の音が消えうせた。
「かっ……くっ……?」
 セラキトハートは、自分の体に何が起こったのかわからなかった。
 ただ、痛みがあった。
 それは篤の攻撃を防いだ時の、直接的な痛みではなかった。そんな感覚は、とうに麻痺している。
 では、これは何か?
 この、体の内部から響いてくる、耐えようもない痛みは何か?
「ひ……ぅ……」
 違う。
 これは痛みではない。
 喪失感だ。
「う……う、うぅ……」
 ――射美は、なくし、ちゃった……?
 何を?
 自分は、何をなくしたというのか?
 視界が、徐々に戻ってゆく。
 空が広がっていた。視界の端を、沈みかけの太陽が、赤く照らしている。
 どうやら仰向けに倒れているようだった。
 徐々に意識がはっきりとしてくる。
 背中に、土の感触。冷たく、ざらついた感触。
 ごうごうと鳴る風。耳鳴りのごとく。
 そして、空を覆う、目が覚めるほどの赤。
 赤。
 炎のような、華のような、絵の具のような、リンゴのような。
 ――血のような。
「……ぐっ……ぅ……っ!?」
 そう思った途端、自分の体の中心にある、底なしの空虚が、中身を求めて暴れだした。
 喪失感。
 痛いほどの。
 本能的に、セラキトハートは悟る。
 ――ショートして、灼き切れた。
 彼女は知っている。自分の肉体の中に、ある機械が埋め込まれていることを。それは、体の中を〈BUS〉が流動した際、抵抗を減らして臓器への負担を軽くする機能を有していた。
 ……特殊操作系バス停使いの宿命である。人体とは、あらゆる部位が無駄なく組み合わさって形作られる精密なからくりだ。そこに特殊操作系能力のような、人体の本来の機能とはまったくかけ離れた余計な能力がそなわれば、不具合が起きないほうがおかしいのである。規格の違う部品を無理に押し込んでも故障するだけなのである。
 もちろん、内力操作系や外力操作系のバス停使いにもその種の負担がないわけではないが、鍛錬次第で克服できる程度のものだ。特殊操作系能力がもたらす命の危機とは無縁である。
 だからこそ、セラキトハートの体には、能力と人体の仲立ちをするシステムが組み込まれていたのだ。
 それが、故障した。
 本来ならばありえない事態。だが、慣れない近接戦闘を強いられたことによって、極度のストレスと肉体への負担が重なっていた。さらにバスを探そうと躍起になるあまり、『夢塵原公園』と深く感応しすぎた結果、バス停が受けたダメージの何割かがセラキトハートに逆流してきたのだ。
 内臓機械は、その負荷に耐えられなかった。
「うぅぅ、う……あっ……!」
 空虚が、暴れまわる。
 なくしたものを求めて哭く。
 牙を剥く。
 セラキトハートは身をよじる。体内にブラックホールが発生し、次々と周囲の臓器を飲み込んでゆくかのような感覚。
 死に直結した苦しみ。
 冷たく熱い汗が噴き出す。体が痙攣を始める。心臓の鼓動が鳴り響き、そのたびに体の機能が死んでゆく。
 ――……いや……
 セラキトハートははっきりと恐怖した。
 ――助けて……
 自分と一緒にこの町へ乗り込んできた仲間たちを想った。
 ――タグっち! ディルさん! ゾンちゃん! ヴェっさん!
 昏みゆく眼をいっぱいに開いて、彼らの姿を探し求める。
 ――助けて! たすけて!
 だが、視界はすでに真っ赤に染まり、もはや何も捉えることはできなくなっていた。
 さらに、視覚以外の感覚も、ひとつずつ深紅の暗闇に沈んでゆく。
 触覚が沈んだ。横たわる地面の感触は真っ赤に染まった。
 味覚が沈んだ。口の中に残る血の味は真っ赤に染まった。
 嗅覚が沈んだ。かすかに香る土の匂いは真っ赤に染まった。
 聴覚が沈んだ。鳴り響く風の音や、近くにいる誰かが上げる声は真っ赤に染まった。
 セラキトハート……否、鋼原射美は、一切の感覚を失い、ただ深紅色をした狂感覚の牢獄の中を、無限に漂いつづけた。
 何もなく、何一つ感じ取れない世界が、これほどまでに恐ろしいものであることを、射美は思い知らされた。
 そして、恐ろしいと思う心すら、徐々に溶けていった。

 そのはずであった。

 頬に、掌の感触があった。まるで触れられた部分だけが実体化したかのように、赤く染まった感覚の中で、そのことを認識した。
 少しひんやりとしていて、やわらかい。
 心を落ち着かせる肌触り。
 掌は、まるでいたわるように射美の頬を撫でている。
「………、………。…………、…………」
 どこかで、声が聞こえた。
 短いフレーズを繰り返しているようだった。
 やがて、掌から涼しく清澄な波紋が浸透してゆくように、射美は徐々に身体感覚を取り戻していった。
 ――頬から頭部全体に。
 そのとき射美は、自分の頭が誰かの膝の上に乗っていることに初めて気づいた。
 ――頭部から胴体に。
 自分はいつの間にか移動されていたらしく、背中の感触は平たく滑らかなものに変わっていた。
 ――胴体から手足の先へ。
 ディテールはさらに正確になる。腿や脹脛の感触から、自分が乗っているのは木製のベンチであることがわかる。
 胸の狂おしく悶える空虚が、徐々に大人しくなってゆく。
 満たされてゆく。
 ゆっくりと。
「……大丈夫、大丈夫。怖くない、怖くない」
 声が聞こえる。しっとりとした、ほのかに甘い声。
 ゆっくりと眼を開く。
 まず目に入ってきたのは、どこか神話的な曲線であった。視界の中央付近に存在するその優美な曲線を境に、右は〈漆黒の闇〉、左は〈陰影のある白〉と、世界がはっきり二分されている。
 さらに眼を凝らすと、〈漆黒の闇〉とは夜の空であり、〈陰影のある白〉とは街灯に照らされる紳相高校の制服であることがわかってきた。
 ――あー……
 そして、それらの境界線となっている、「荘厳な」とか「重厚な」とか「霊性に満ちた」とかいう神話的形容詞をつけたくなるような、たおやかな曲線の正体について思い当った射美は、ほぁー、と間の抜けた溜息をつく。
 どうも自分は、ベンチに座る人物に膝枕をしてもらっているようである。
「あら」
 その神聖なる曲線の向こうから、まるで二つ連なる丘を越えて朝日が昇ってくるかのように、霧沙希藍浬の顔が現れた。顔の下半分はいまだに膨らみの向こうに隠れている。
 ――下から見ると余計におっきいでごわすなぁー……
 地球という惑星のもたらす恵みの豊かさに、畏怖の念を抱く射美であった。
「おはよう。鋼原さん」
「お、おはようでごわす……」
 と、つい反射的に挨拶を交わしてしまうが、よくよく考えてみると状況が不明すぎる。
 ここはどこで、今はいつで、自分はどうなったのか。
 ――自分は、どうなったのか。
「……っ!」
 さっと顔が蒼くなり、自らの胸元を抑えつける。その際射美は正体不明の劣等感に襲われたが、なんのことなのかまったくわからないのでとりあえず気にしないことにした。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
 再び、ひんやりやわらかい掌が、射美の頬を包み込んでスリスリ。
「うに……」
 なんとなく、喉を撫でられる猫の気分。別に苦しくもないのに身をよじりたくなってくるので、なんだか気恥しい。
「むっ、目覚めたのか」
 静かな、しかしよく通る声がした。

 ●

 ……あの時。
 篤の渾身の一撃は、射美のバス停を叩き折り、彼女を数十メートル吹っ飛ばした。
 だが、頭にコブでも作りながら「いったーいでごわすー!」とか叫びつつ跳ね起きるかと思いきや、何やら尋常ではない様子で脂汗を流しつつ苦悶の呻きを上げ始めたため、
「殺めてしまった……死のう」
「切り替え早すぎだろアホ!」
 攻牙に蹴り飛ばされてグランドに倒れ伏す。
 篤としては、死力を尽くした戦いの果てに生き死にの分かれ目があるのは、致し方のないことだと考えている。だが同時に、敵手の死を望むなら自らの死をもって当たるのが当然であるとも思う。
 大事なのは、いかにして調和を回復するかということだ。
 そして、篤の見たところ、彼女の命脈はすでに尽きているように思われた。断続的な痙攣が彼女を襲い、その血色は見る間に悪くなってゆく。遠からず、命の炎は消える。
「くっそこりゃ救急車か!?」
 攻牙は急いた手つきで携帯を取り出した。
 ――いや、そうではないな。
 級友の様子を見ながら、篤は自らの怠惰を恥じる。あきらめるべきではない。たとえどんな状態であろうと。
 見たところ、心肺機能に異常があるようだが、この場合の応急手当は――
「待って。わたしに見せてもらえる?」
 涼しげな声。藍浬が目を覚ましていたようだ。
「うむ、この場合、心マッサージか人工呼吸か、もしくは足元を高くして寝かせるだけでよかったのか、適切な対処はいずれであっただろうか?」
 無駄な問答は極力減らして問いかける。
「ううん、これは違うの」
 ……?
 藍浬は、死の痙攣をつづける射美のそばに膝をつき、両手で頬を包み込んだ。
 途端に、射美の表情がやや和らぐ。
「おお……」
 依然として死の淵にはあったが、一歩だけそこから遠ざかっている。
「攻牙くん、救急車は呼ばなくていいわ」
「え? な、なんでだ?」
「それよりも、ここを離れましょう。たぶん、普通の病院じゃ鋼原さんは助けられないわ」
「……この症状に覚えがあるのか?」
 篤の問いかけに、藍浬は困ったような笑みを浮かべた。
「一度だけ……ね。だけど、わかるの」
 篤は、藍浬の眼を見つめる。眼の奥を透かし見る。迷いと、不安と、切実な願い。
「実を言うと、どうしてわかるのか、自分でもわからないんだけど……でも、これは絶対。鋼原さんはわたしにしか助けられないわ。前もそうだった。……信じて、もらえない?」
「わかった。信じよう」
 効果のあるなしに関わらず、いまから病院に搬送しても間に合わない公算が高い。それに、彼女が射美に触れると症状がやや改善したのは事実である。
 篤は射美の腕を取って軽く捻ると、その体はくるりと回転して篤の背中に収まった。
「ではゆくぞ。寝かせられる場所がよいか?」

 ●

 それから、近くの公園のベンチに射美を寝かしつけて現在に至る。
 時刻はすでに八時を回っていた。
「す、諏訪原センパイ……」
 射美が藍浬の膝の上で視線を上げ、逆さまの顔で篤に声をかける。
「気分はどうだ」
「いや気分はどうだじゃないでごわすよ! これから射美をどーするつもりでごわすかぁー!」
「うむ、もう少し様子を見てから、大丈夫そうであればお前を家まで送っていくつもりだ」
「なんで……!」
 息を吸い込んで何かを言い募ろうとした射美は、膝枕をする藍浬にのどを撫でられて「うにぃ」力が抜けたようだった。
「うぅ〜、スリスリするのズルいでごわすぅ〜」
「ふふ、かわいい」
「お前の正体は知っている」
 空気を読まない篤は構わず話を進める。
「ゾンネルダークの同僚なのだろう。《ブレーズ・パスカルの使徒》が、手段に拘泥しない恐るべき組織であることも、身をもってわかっている」
「じゃあどーして射美を助けたりするんでごわすか。射美は生かしておいたらゼッタイ仕返しにくるでごわすよ〜? また何度でも学校とか壊れたりするでごわすよ〜?」
 篤は眼を閉じ、首を振った。
「主語を混同してはならない」
「ほぇ?」
「問題なのは、お前の組織の是非ではない。お前自身の是非だ」
「……よく、わからないでごわす」
「わからずとも良いさ。ただな――」
 眼を開き射美を見据える。
 視線が重なる。
「お前は攻牙を殺そうとはしなかったな。それに、わざとバス停の力を見せ付けることで無用な戦いを避けようとした。どのような思惑で成された行いなのかは与り知らぬが……俺にはお前がそういう判断のできる人間に見えた。なにも死ぬことはないだろうと、そう思うのだ」
 射美は眼に強い力を込めて睨む。篤は静謐な眼差しでそれを包み込む。
 お互いが、お互いを理解しようとして。
 やがて、射美が顔を背けた。
「諏訪原センパイは甘ちゃんでごわす。カッコつけでごわす。偽善者でごわす」
「褒めても何もでないぞ」
「むぅ……」
 むくれた顔で唸る射美。
 勢い良く藍浬の膝から跳ね起きると、駆け足で五歩ほどベンチから離れ、振り返った。
「射美はそーゆーノリはキラいでごわす!」
 べーっ、と舌を出してから再び踵を返し、走り去る。
 その姿は、街灯が照らす範囲を出た瞬間、暗闇にまぎれて見えなくなってしまった。
「……急に動いて大丈夫かしら?」
「あの様子なら問題なかろう。バス停使いであれば夜道など恐るるに足りん」
「うーん、でももうちょっとナデナデしたかったかも……」
 ――正直それは自重しろ。
 というかこの場に謦司郎がいなくて本当に良かった。彼と攻牙は学校に残り、警察に事情を説明する役を担っているのだ。攻牙は「説明ったってどうすりゃいいんだよ」と困惑気味だったが、別段恐れることはない。ありのまま起こったことを話せばいいのである。警官の諸兄は攻牙たちが何を言っているのかわからねーと思われるが、超法規的秘密財団法人『神樹災害基金』の力はこういう権力機構に対してめっぽう強い。穏便な手段でバス停戦闘の隠蔽を図ってくれることだろう。
 そのとき、暗闇の向こうからなんか怒ったような大声が押し寄せてきた。
 
「助けてくれて〜、ありがとぉーでごわすぅぅぅーッ!」
 ごわすぅぅぅ、ごわすぅぅぅ、ごわすぅぅぅ……(エコー)

 眼を丸くして片田舎の闇夜を見る藍浬。
 やがて、その顔に桜のような笑みが灯る。
「ふふ、こういうの何て言うんだったっけ? シンドラー?」
「うむ、インテルだった気がするぞ」
 攻牙の不在は大きい。

 ●

「――暗闇の中に、三つの影があった。彼らは息を潜めながら、ベンチに座っている諏訪原篤と霧沙希藍浬の姿を監視している」
「やはり、あの少女――霧沙希藍浬は本物なのかもな」
「――中心に佇む男がぽつりと言った。闇の中に溶け込むかのような黒のスーツと、適度に散らしたオールバックの髪型、引き締まった長身痩躯など、研ぎ澄まされた日本刀のごとき印象をまとう男であった」
「そうみたいですねー。でもよかったなぁ。射美ちゃんが無事で」
「――その左で、ずいぶん年若い青年が微笑んでいる。同じく黒のスーツ姿であったが、着こなしはかなりだらしない。頭にタンポポが咲いていそうな弛緩した笑みも、軟弱な印象を助長している」
「セラキトハートの心臓部に埋め込んだ〈BUS〉整流機構を、直接触れずに修復したあの力こそ、皇停の担い手たる証に違いないのかもな。《絶楔計画》を第三段階へとシフトする……《俺たちの戦いはこれからだ! 第二部・完!》というやつかもな」
「たまには断言してくださいよ……不安になってきますって」
「――青年の主張などどこ吹く風で、中央の男は踵を返した。奇妙な語尾とは裏腹に、一片の迷いもない確固とした足取りであった」
「あのー、自分の描写はしないんですか? ディルギスダークさん」
「――青年は誰に向けて言ったのかよくわからないことをつぶやいた。青年の視線の先には誰もいない。独り言だろう」
「いやいや、いますよね。そこに。普通に」
「――また独り言だった。相変わらず青年は誰もいない闇の一角を見据えて喋っている。不可解というほかない」
「いや、あの、ていうか最初『暗闇の中に三つの影があった』って言ってたじゃないですか」
「――青年の独り言はつづく。その空虚な言葉に答えるものはいなかった。幻覚でも見ているのだろうか。精神的な病の可能性があった」
「ひどっ!? 僕のトキメキ☆ナイーヴハートはもう再起不能です! 死にたい! 死のう!」
「――突如そう叫ぶと、彼はポケットからカッターナイフを取り出し、無数の躊躇い傷が走る自らの手首にあてがった」
「死にます! 死んじゃいます! し、死ぬ! 死ぬよ!?」
「――誰もいない暗闇に向けて、彼は一人騒ぎ立てた。しかし誰一人その声に応える者はいない。彼を止める者もいない。それはまるで彼の前途を暗示しているかのようであった。青年は寄る辺とてない闇黒の深淵で、誰にも看取られることのないまま死ぬのだ」
「う、うわあああああああん!」
「貴様ら遊んでないでさっさと帰るのかもな」

 ●

 翌日。
 学校は普通にあった。破壊されたはずの図書室は、以前とまったく変わらない様子でそこにあった。
 グランドやフェンスも元通りであり、そこで戦闘があったことを示す証拠は何も残っていない。
 『神樹災害基金』が擁する特殊操作系バス停使いの仕業なのだろう。これが『基金』のやり方だ。目撃者を捕えて忘れろとがなるより、「何事もない平凡な日常」という幻想を完璧に裏付けてやるほうが効果的なのだ。
 諏訪原篤は、学校の屋上で昼食がてら攻牙、謦司郎、藍浬の三人に、ことのあらましを説明していた。
「つ、つ、つまりあのあれか! バス停は実は地脈のエネルギーを制御するための装置でその力を使ってなんかとんでもないことを企んでいる悪の秘密結社がいてなんかこうドンパチやっていうっていうのかよオイオイすげええええぇぇぇぇぇよオイマジかよ!!」
 攻牙はもう有頂天を衝くとかそんな合成言葉を使いたくなるほどの興奮ぶりであった。
「でもいいのかい? 僕たちにそんなこと話して」
 謦司郎は相変わらず篤の背後から出てこない。
「確かに、あまり褒められたことではないかもしれん。少なくとも『基金』の者たちはいい顔をしないだろうな」
 ずび、と茶を一口すする篤。
「だがお前たちはすでにバス停の力の一端に触れてしまった。ここで忘れろなどといっても納得はしないだろう」
「そりゃそーだぜへっへっへ」
「そして、襲撃は今後もつづくものと予想される。ならばむしろ積極的に事態の情報を開示し、自衛策を講じてもらったほうがまだ安全である」
「うーん、どこか別の場所に逃げるっていうのはダメなの?」
 藍浬が困った顔をする。
「うむ、それもひとつの手だろう。だが霧沙希、お前に限っては逃げても無意味である可能性が高い」
「鋼原さんが、わたしを狙っていたから?」
「そうだ。あれが鋼原射美の独断でもない限り、敵組織の狙いはお前と見て間違いない」
「うーん、鋼原さんみたいなコならいいけど、もっと怖い人に襲われたら困ってしまうわね」
 あんまり危機感の感じられない様子である。
「そこで、こんなものを用意した」
 篤は自分の鞄に手を突っ込み、長方形の弁当箱っぽい機械を四つ取り出した。
「これはナーウかつハイカラな言葉でケータイデンワというものだ。離れた人間とも会話ができるという驚くべき」
「トランシーバーじゃねえかぁぁぁぁぁぁッ!」
「……うむ、そうともいう。これで相互に連絡を取り合い、」
「どっからこんな前世紀の遺物を発掘してきやがったんだバカヤロウ! お前が携帯買えば済むことだろどれだけ思考が時代遅れなんだよ!」
「むぅ、俺はあの小さくて薄い装甲がどうも好きになれん。あんな有様では拳銃弾の貫徹すら許してしまうぞ」
「携帯電話をなんだと思ってるんだーッ!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ攻牙と篤の後ろで、ひそやかに交わされる会話があった。
「霧沙希センパイ〜こんにちはでごわす♪」
「あらこんにちは。体の調子はどう? なんともない?」
「ご心配にはおよばないでごわす♪ 射美は堅甲遊猟児でごわす♪」
 チャ○ャプーの亜種かなんかですか?
「射美もお昼ごはんご一緒していーでごわすか?」
「ふふ、もちろんよ。鋼原さんはお弁当派?」
「お弁当でごわす〜毎朝タグっちが精魂込めて作ってくれるでごわす〜」
 鼻歌まじりに楕円形の弁当箱を取り出していると、攻牙と篤が射美の存在に気づいた。
「っておいィィィィィィ! なに自然な感じに混ざってんだよお前は! 何しに来やがった!」
「スパイ活動でごわす♪」
「えええええ!?」
「きのうはヴェっさんに怒られちゃったでごわす〜もっと相手を見てから仕掛けろって言われたでごわす〜」
 アスパラガスのベーコン巻きを幸せそぉ〜にかじりながら、射美は言葉をつづける。
「だから敵情テーサツでごわす♪ これからセンパイがたの弱点とか隙とか裏も表もセキララに探るつもりでごわす♪ 覚悟しやがれでごわす♪ ……あ、諏訪原センパイのタコさんウィンナーかわいいでごわす〜」
「うむ、我が妹の手による造形だ。……前々から思っていたのだがこれをタコと言っていいのだろうか? 触手の本数や口腔の位置が生物学的に不正確な形態ではあるまいか?」
「細かいこと気にしちゃダメでごわすよ〜いい妹ちゃんでごわす〜」
「うぅむ……」
 篤が己の弁当箱を凝視して思索にふけっている間、射美の背後に黒い風が蟠った。耳元で異様な熱を孕んだテノールが囁かれる。
「ところで、タコさんウィンナーって卑猥な形をしてるよね……」
「ひぃぃ!?」
 悲鳴をあげて藍浬の後ろに隠れる射美。
「き、ききき昨日のヘンタイさん!」
 カチカチ歯を鳴らして汗を垂らしている。
「もう、闇灯くん、鋼原さんになにしたの?」
 じとーっと謦司郎をにらむ藍浬。
「ははは、やましいことなんてなんにもしてないさ。ちょっと力の込もった挨拶をしただけで」
 風を巻き込む勢いで首を振りまくる射美。
「おい篤……篤! いいのかよアレ! スパイって自分でいってるぞオイ」
 藍浬によしよしと撫でられて、「うにぃ」力が抜けている射美を指差しながら、攻牙は篤の袖を引っ張った。
「む……」
 篤は顔を挙げてその情景を見ると、
「うむ」
 重々しく頷いた。
 そして言った。
「仲良きことは美しき哉」
「えぇー……」

 完


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