その後、好奇心剥き出しで鋼原射美の正体や目的について教えろとしつこくまとわりついてくる攻牙を振り払い、篤は急いで下校した。
 家に帰りつくと、さっそく自らのカバンを開ける。
 教科書とノートの間から、二通の手紙がこぼれ落ちた。
「うぅむ……」
 片方は下駄箱の中にあった桜柄の手紙だ。篤が丁寧に折り畳み、カバンの中へしまった。
 だが、カバンの中にはもう一通の手紙があった。
 拾い上げてみると、『趣訪原センパイへ』と、やたら丸みを帯びた字で書かれている。
 ――いつの間に入れられたのか。
 ――そして『しゅわはら』とは誰のことか。
 二つの疑問が脳裏を駆け巡ったが、とりあえず脇に置く。
 正体不明の嫌な予感に眉をひそめながら、封筒を開け、中身を取り出した。

 大女子きて”こ”ゎす!
 方攵言果後、センハ。イの教室で待ってるて”こ”ゎす!

 金岡原身寸美より(はぁと)

「むぅ……これは……ッ」
 篤は愕然と目を見開く。
 そしてこの書状が持つ恐るべき意味に気づく。
「新たな果たし状ッ!」
 多分、というか絶対に違うのだが、突っ込む者は誰もいない。
「しかし……これはどういうことだ?」
 篤は首をひねる。
 最初、下校しようとして下駄箱を開けたら果たし状(?)が入っていた。文面に従って教室に行ったら、そこには鋼原射美がいた。
 だから特に疑問にも思わず受けて立とうとしたのだが……
 今、ここにもう一通の果たし状(?)が存在している。こちらには差し出し人として鋼原射美の名前があった。『かなおかげんしんすんみ』などという珍妙な名前でもない限りは間違いないところだ。
 ――これはあの、ナウかつハイカラな言葉でいわゆるところのギャル語というやつであろう。
 考えるまでもなく、鋼原射美が本当に出したのはこっちなのだ。
 では……下駄箱に入っていた方は何なのか?
 篤はしばらく考え、考え、考え込み、五分も経ってからようやくその可能性に気づいた。
「果たし状を出した人物は、鋼原射美の他にもう一人いたのかッ!」
 そして、自分が重大な過ちを犯したことを自覚した。
 ――なんということだ。
 諏訪原篤は、あろうことか決闘の誘いをすっぽかしてしまっていたのだ!
 その瞬間、あたりを地鳴りが包み込んだ。根源的な不安を煽る、大地の怒り。その律動。
「なんという……なんということだ……!」
 別口の決闘があったから行けませんでしたなんて言い訳で、罪を誤魔化すつもりはなかった。
「俺は、一人の気高き戦士の誇りを、踏みにじっていたのか……」
 地鳴りはやがて震動に変わる。家屋がガタガタと悲鳴を上げ、本棚におさめられているふっるい本の数々が床に落ちる。
 しかし、篤は気付かない。動揺した己の心が生み出す幻覚だと思っている。
 ――これほどの失態、いかにして償うべきか。
 答えは、すでに出ていた。
「死のう」
 懐からドスを引っ張り出す。
 と同時に、背後でドアの開く音がした。
「兄貴〜! 大丈夫? かなり揺れたね……ってぎゃあ! なにやってんのバカァーッ!」
 その瞬間放たれた霧華のローリングソバット(しゃがみガード不可)によって篤は無慈悲にも吹き飛ばされ、全治三十秒の重症を負った。
 ドアを開けた瞬間に状況を理解し、コンマ一秒の遅れもなく即座に攻撃に移る。妹の恐るべき格闘センスにいつものことながら戦慄しつつ、一応抵抗してみる。
「……霧華よ、いくら腹に刃物を当てていたからと言って事情も聞かずに蹴り飛ばすのはいかがなものか。本当は切腹ではなかったのかも知れんではないか」
「じゃあなんだっつうのよ!」
「ヘソごまを取っ」
「ああもういい! 黙れ!」

 ●

 次の日。
 諏訪原篤は襲撃を受ける。
 登校してきた生徒たちでごったがえす紳相高校の廊下にて、それは完全なる不意打ちの形をとって成された。
「うらぁーッ!」
 襲撃者は背後から篤に飛びかかると、首に腕を回して締め上げてきた。
「昨日はよくも逃げてくれたな篤この野郎てめえ今日は逃がさねえぞコラァ!」
 セリフに読点をつけない男、嶄廷寺攻牙。
「あー」
 篤は頭を掻きながら、何と言ったものか思案する。
 攻牙は、ヒーロー願望が強い。普段から「あー世界の存亡をかけた戦いに超巻き込まれてえー」だの「いつになったら破門された兄弟子が仮面をかぶって師匠を殺しに来るんだろう」だの、高校生にもなってちょっとそれはどうかと言われそうなことを平気で口に出す奴だ。
「高校生にもなってちょっとそれはどうか」
「何がだよ!」
 見た目が小学生なのでまったく違和感はないが。
 そんな少年が昨日の篤と射美の意味深なやりとりを見れば、これはもう何らかの劇的な事件の匂いを嗅ぎつけて意地でも首を突っ込んでくるに決まっているのである。
「うーむ」
 首にぶら下りながらぎゃあぎゃあ騒いでいる攻牙をとりあえずスルーしながら、篤は考え込む。
 やはり適当に曖昧な返事をして誤魔化すしかなかろう。級友をバス停使いの戦いに巻き込むのは篤としても本意ではない。
「オラオラとっとと教えやがれ! あのごわす女は何者だ! ゾンちゃんって誰だ! 仇って何のことだ!」
「……うむ、何のことかはまったくわからないが、ゾンちゃんというのがゾンネルダークなどという変態の略称ではないことだけは確かだ。うむ、本当に何のことかはまったくわからない」
「わかってんじゃねえかよ! 誰だよゾンネルダークって!」
 篤は戦慄した。
 ――こいつ……天才すぎる!
 まったくわからないって二回も言ったのに、実はわかってることを一瞬で看破されてしまった。いったいどんな鍛錬を積めば、これほどの恐るべき洞察力を獲得できるのか。
 ――次からは三回言おう。
「……むっ!?」
 その瞬間、意識の片隅で、ある気配を感じた。
 覚えのある気配であり、現在最も警戒しなければならない気配。
 一見ふにゃふにゃの隙だらけに見えて、中に剣呑なものを宿している気配。
 だんだんと、近づいてくる。
 周囲の雑踏の中から、篤はその足音だけを拾い上げる。
 そして。
「諏訪原センパイ〜おはようでごわす♪」
 甘ったるい声。
 篤は即座に頭をめぐらせ、声の主を見やる。
 案の定、そこには鋼原射美がいた。
 両手を後ろに組んで、身をかがめ、いたずらっぽく笑っている。
「ぬあっ! 昨日のごわす女!」
 攻牙が声を上げた。
「昨日のおチビちゃんもおはようでごわす〜♪ お兄ちゃんにおんぶしてもらってるでごわすか?」
「うわすげえムカつく!」
 しかし、はたから見ると確かに「歳の離れた兄貴におんぶしてもらってる子供」の図である。
「……用向きは何だ?」
 篤は静かに、油断なく問いかける。
「そんなにケーカイされると悲しいでごわすよ〜」
 よよ、とわざとらしいしなを作りながら、指で涙をぬぐう仕草をする。
 が、すぐに半眼でこちらを一瞥し、口の端を吊り上げた。
「ふふん、ちょっと見かけたから挨拶がてら決闘でも申し込もうかと思っただけでごわす」
「ほう」
「確か……『姫川病院前』のパワーが一番高まるのは、診察時間の朝と夕方でごわしたっけ?」
 ――そんなことまで知っているのか。
 篤が契約しているバス停『姫川病院前』は、その名の通り姫川病院の前に位置しており、朝と夕方の診察時間には近隣の爺さん婆さんが押し寄せるため、段違いに利用率が高くなる。当然、〈BUS〉の流動も活発になり、バス停の持つ力は最高潮に達するのだ。
 バス停使いにしてみれば、自分が契約するバス停がどこのものなのかを知られるのは非常マズい。そのバス停の利用率が低い時間帯に襲いかかられると、恐ろしく不利な戦いを強いられることになる。
 篤は、己の弱点とも言うべき情報を、いともあっさりと握られてしまったのだ。
「さて……どうだったかな」
「またまたぁ、隠さなくても大丈夫でごわすよ〜。利用率が低い時間に襲撃しようなんて思ってないでごわす♪」
 別に隠していたわけではなく、単に姫川病院の午後の診察時間が何時だったのか良く覚えていなかっただけなのだか、篤は黙っておくことにした。
「ほう?」
 いかにもポーカーフェイスやってますよと言わんばかりの鋭い表情だが、実は何も考えていない。
「今日の夕方。学校の裏山で待ってるでごわす」
 にひ〜、と射美は意味深な笑みを浮かべている。
「わざわざ俺に有利な時間を指定するとは、よほどの自信があるようだな」
「ふっふっふ、そうでごわすよ? 射美がホンキを出せばセンパイなんてイチコロでごわす」
「それは楽しみだ。場所と時間は了解した。必ず行こう」
「待ってるでごわすよ〜♪」
 篤は踵を返し、颯爽と歩きはじめる。
 新たなる敵との戦い。
 その予感に、体中の細胞がざわめいた。
 ――やはり常住死身の信条は、闘いの宿命を引き寄せる、か。
「やれやれだ」
 肩をすくめる。
「夕方に裏山だな? よ〜くわかったぜこの野郎」
 肩が、固まった。
 背中に攻牙を背負ったままだったことをやっと思い出し、頭が痛くなった。
 どうしよう、これ。

 ●

 大過なく授業は終わり、放課後に突入。
「すまん、霧沙希。こいつを抑えておけそうなのはお前くらいしかいない」
「ふふ、諏訪原くんが頼みごとなんて珍しいわね」
 ぎゃあぎゃあ喚く攻牙を後ろから抱きすくめながら、霧沙希藍浬はふんわりと微笑んだ。
「どうしても一人で出向かねばならぬ用向きがあるのだが、攻牙が付いて行くと言って聞かぬ。俺が戻ってくるまでの間、こいつを抑えていてくれないか」
「昨日のコ……鋼原さんと待ち合わせ?」
「……霧沙希に隠し事はできんな。そういうわけだ」
「はいはい了解ですよ。がんばってね」
「うむ、恩に着る」
「ち、ちくしょう覚えてろよ篤この野郎―ッ!」
 攻牙の三下っぽい叫びを背に、篤は教室を出た。

 ●

 ちくしょう。
 あの野郎。
 許さねえ。
 嶄廷寺攻牙の脳裏をよぎるのは、その三つだった。
 鋼原射美と諏訪原篤の意味深なやり取りを聞いた時、これだ! と思った。
 ――このつまんねえ日常から抜け出すカギを、ついに見つけたぜ!
 そう思った。
 主人公。ヒーロー。英雄。
 甘美な響きだ。
 攻牙は小さい頃(要するに最近)、自分の名前の由来について父親に聞いてみたことがある。
「え? 名前? あぁ、えっと、ああー、由来ね、うん、由来。由来を聞きたいわけか、なるほどなるほど、うんうん。えっとな、あれだ、一言で言ってしまうと、あの、あれだ」
 親父はそこで爽やかな笑みを浮かべた。
「父さんが当時ハマっていた鬼畜系エロゲーの主人公の名前からなんとなく取っんだ」
 普通の少年ならば満面の笑みを浮かべながらドメスティックバイオレンスに身を任せているところだが、攻牙は違った。
 「なんとなく」という言葉尻が引っかかったのだ。
 普段から何かにつけていい加減かつテキトーな親父だが、不意に予知能力でもあるんじゃないかと思うほど鋭いことを言う時がある。
 そういう時は決まって頭を掻きながら「なんとなくだ!」で済ますのである。さらに聞くと、自分でもなぜそう言ったのかわからないという答えが返ってくる。
 まるで、何かの啓示を受けたかのように。
 ――ボクの名前も、そうなのかもしれねえ。
 アホな親父ではなく、運命とか宿命みたいなものによって決められた名前なのかも。
 そう思ったものだ。
 ――なにしろ攻牙だよ攻牙。
 ――こんな名前で主人公やらずに何をやるっていうんだよ。
 小さかった(今も)攻牙は一人そうつぶやき、ニヤニヤしていた。
 別に根拠はないが、確信していた。
 自分はヒーローとなる男なのだと。
 そして今。
 諏訪原篤は明らかに、何らかの超越的な戦いに身を投じている。
 ――きたぜ! ついに!
 宿命の時が来た。
 ――篤の野郎が手を焼く戦いに、ボクも超巻き込まれてゆくにちげえねえ。そしてもうアレだ、超獅子奮迅な活躍をして世界を超救うに違いあるめえ。あるめえよこりゃ!
 とか何の根拠もなく確信しきったのである。
 嶄廷寺攻牙はマジだった。
 バス停使いの闘いに巻き込まれるということ。
 それが一体どんな意味を持っているのか知りもせずに。
 どれほど強大で人知の及ばぬ戦いに首を突っ込もうとしているのか、まったく自覚せずに。

 嶄廷寺攻牙は、あまりにもマジだった。

 ●

 ……マジだったのだが。
「ボクは何をやっているんだろう……」
 頭を抱える。
 攻牙は、いまだに学校にいた。
 正確には、校舎の辺境に位置する図書室である。時刻は三時過ぎ。飴色を帯びはじめた大気が動き、窓から涼しい風が吹き込んでくる。校庭が一望できる窓際の席で、攻牙は時間が無駄に過ぎるのをまんじりともせずに耐えていた。
 グランドでは、野球部が練習に精を出している。高等部のむくつけき野郎どもがランニングをしている横で、小学生の子供たちがわいのわいの言いながらキャッチボールに興じていた。
 紳相高校の隣には公立の小学校があるのだが、ド田舎なので子供の絶対数が少なく、いちいち学校ごとにでかい運動場を造るのは不経済極まりない。そのため高校のグランドを他校の生徒にも解放し、自由に使わせているのだ。
 いやそんなことはともかく。
「なあオイ霧沙希」
「うん?」
 隣の席につく霧沙希藍浬は、読んでいた本から顔を上げた。
「ボクはなんでここにいなきゃならないんだ」
 場所が場所なので、小声である。
「ふふ、諏訪原くんのところに行きたいの? でも駄ぁ目。若い二人の邪魔をしちゃあ、ね?」
「いや……ね? とか可愛く言われてもな」
 霧沙希の場合、普段の大人びた言動とのギャップがなんかヤバい。
 ――って何を考えてるんだボクは。
 自分の頬をぺちぺちしながら状況を整理する。
 篤とごわす女の待ち合わせ場所に向かい、世界の存亡をかけた戦いに超巻き込まれる。これこそが攻牙の目下の目標なわけであるが……
 それを嫌う篤の差し金によって、霧沙希藍浬が立ちはだかっているのだ。
 ……いや、立ちはだかっているというか、座って本を読んでいるだけなのだが。
 それでも立ち去ろうとすると、ひょいと白い手が伸びてきて腕をつかまれる。つかまれたのなら振り払えばいいだけなのだが、
「……うぅ」
 攻牙はそれを振り払えなかった。
 霧沙希藍浬の手は、ひんやりとして柔らかい。
 ――いやだからなんなんだよ!
 攻牙は自分が何を考えているのかよくわからない。
 だが、努めて冷静になって考えてみると――
 ――多分ボクは霧沙希の意に沿わないことをするのが恐ろしいんだな。
 そういう答えが出る。
 霧沙希が恐ろしいのではない。
 しかし、彼女の笑顔を曇らせることに、かなり大きな抵抗を感じるのだ。
 霧沙希藍浬が悲しむと、何か恐ろしいことが起きる。そんな気がしてならない。いや、彼女が自分の意志でその「恐ろしいこと」を起こすわけではない。だが、攻牙には想像もつかないような因果を辿って、結果的にとんでもない事態になってしまいそうな気がするのだ。
 なぜそんな気がするのかは自分でもわからないが……
 霧沙希藍流は、桜の花のような笑顔を浮かべる少女だ。
 他人を安心させることにかけて、彼女以上の人間にはお目にかかったことがない。
 だから、そんな笑顔を壊すような奴はバチを当てられてしまうんだろうな、多分。
 と、攻牙は思う。ごくナチュラルに。
「なぁ霧沙希」
「うん?」
「そもそもなんでお前はこんな所で本を読んでいるんだ?」
「あぁ、本当は専用の部室でできたら一番なんだけど、わたしの部活動は部員が三人しかいないから、部屋まではもらえないの」
「部活動……ってお前部に入ってたのか」
「ふふ、そうよ。これでも部長なんだから。『文芸研究殺人事件』っていうの」
 殺人……事件……?
「……えーと悪いもう一度言ってくれるか?」
「『文芸研究殺人事件』」
「それが部名なのかよ!」
 意味わからん。
「だって『文芸研究部』じゃ地味そうで誰も入ってくれないじゃない?」
「『殺人事件』でも入ってもらえねえよ! ていうか部じゃないだろもはや!」
 霧沙希藍浬が何か言いかけた時、フッと黒い風が吹き抜けた気がした。
「いやいや、殺人事件の文字は間違いなく目を引くよ。なんというか、ロマンとミステリーの香りがするね。部の目的ともマッチした素晴らしいネーミングだと思うよ」
 別の声がした。
 見ると、謦司郎が本を何冊か抱えてそこに立っている。
 こいつが唐突に表れるのはいつものことなので、攻牙もさほど驚かない。
「頼まれていた資料を持って来たよ霧沙希さん」
「ありがとう闇灯くん。いつもごめんなさいね」
「はっはっは」
 謦司郎は髪をかき上げた。
「霧沙希さんの制服ごしに浮かび上がる起伏豊かなわがままボディを脳に焼き付けて今夜の自家発電の燃料にするという計り知れない恩恵を得るためならこんなことぐらいどうってことないよ!!」
「せめて本人の前では言わずにおけよアホかお前は何さわやかな笑み浮かべてんだよ!」
「ふふ、大丈夫よ。闇灯くんってすっごく紳士なんだから」
「ちょっとは気にしろよ霧沙希も! こんなド直球なセクハラに慣れ親しむなんていう無意味な適応能力はいらねえんだよ!」
「はいはい攻牙。図書室では静かにね」
「なんでボクだけが騒いでるみたいな雰囲気にしてるんだ!」
 しかし実際問題、周囲の迷惑そうな視線が痛くなってきた。図書室を見渡してみると、十人前後の生徒が思い思いの位置で読書や勉強に勤しんでいる。しぶしぶ矛を収める。
 そこで攻牙は我に帰る。
 ――脱線してるじゃないか!
 そもそもは、さりげなくこの場所から移動させるよう仕向けて、移動中にひそかに姿を消そうという目論見のもとに会話を始めたのに、もう目的がブレている。
 ――このままでは奴らの決闘現場に行けねえ……!
 どうにか霧沙希を説得できないものか。
 しかし攻牙の目的を正直に話したところで同意が得られる可能性は果てしなく低い。それどころか篤とごわす女が戦おうとしているということ自体信じはしないだろう。
 ――くっそーどうすりゃいいんだ!
「あら……?」
「どうしたの? 霧沙希さん」
 不意にグランドの外に目を向ける藍浬。
 視線の先には、学園のそばを通る道路があった。
 今そこに、不可解なものが走っている。
「あそこって、バスなんか通ってたかしら?」
 そう、バスだった。
 緑と白のツートンカラーが目に優しい、何の変哲もないバスだった。
「うーん、聞いたことないけど」
 謦司郎は顎に手を当てる。
「……おいちょっと待て上に誰か乗ってないか」
 攻牙は立ち上がって身を乗り出した。
 ……確かに、その怪しいバスの上には、小柄な人影がある。
 中で座っているのではなく、屋根の上に立っているのだ。
「それに、なんか持ってるね」
 謦司郎が攻牙の横に並ぶ。
 怪しいバスの上の怪しい人影は、大きな柱状の物を手に携えている。どう考えても持ち上げられるような大きさではないのだが、人影は何の苦もなくそれを片手で保持していた。
「よく見たら、ウチの制服を着てるわね」
 藍浬も横に並ぶ。
 怪しいバスの上で怪しい柱状の何かを持った怪しい人影は、バスが近づいてくるにつれて、紳相高校の女子制服を着ていることが明らかになった。
「あれって……ひょっとして……」
「鋼原さん……?」
 謎のバスは、唐突に向きを変えた。ただの自動車ではありえない、急激な方向転換だ。
「かぁぁちこみでごわすぅぅぅぅぅぅ!!」
 甘ったるい声。
 攻牙たちのいる図書室へと鼻先を向けると、ロケットエンジンでも付いてるんじゃないのかと思うほど爆発的に加速した。
「な……!」
 門から突入、などという礼儀正しいことを彼女はしなかった。
「やばい――おいお前ら逃げろーッ!」
 攻牙が野球部の連中に怒鳴った。
 次の瞬間。
 金網のフェンスを突き破り、直接グランドへ鋼鉄の巨体が侵入した。
 道路から学校の敷地までの間は傾斜になっていたので、勢い余って宙を舞う。
 さすがに悲鳴を上げる野球部員たちの頭上を飛び越え、グランドの中央に着地した。
 衝撃で二回ほどスピンしてから停止したバスは、そのまま何事もなく走行開始。
 まっすぐこちらに向かって突っ込んでくる。
 紳相高校の安っぽい木造校舎など一瞬で突き崩せそうな、凄まじいスピードである。
「きーりさーきセーンパーイ! ハンカチ返しにきたでごーわーすーよー!」
 バスの上で、手に持った柱状の何か――バス停に見えるが目の錯覚だろう――をブンブン振り回しながら、鋼原射美は声を上げている。
「……あらあら」
 藍浬が困ったように微笑んだ。
「こっちよ〜! 鋼原さん」
 手を振りながら、呼びかける。
「言ってる場合かーッ!」
 攻牙は藍浬の手を掴むと、渾身の力を込めて引っ張った。
 瞬間、直前まで三人が立っていた位置の壁が爆発し、震動と轟音が校舎を揺るがした。砕けた窓ガラスは滝のように室内へと降り注ぐ。本棚は次々と倒れ、中の本が次々と床に散らばっていった。図書室に残っていた生徒たちの悲鳴が飛び交っている。
「ゲホゲホッ! くっそ無茶苦茶だ!」
 もうもうと立ちこめる粉塵にせき込みながら、攻牙は身を起こした。
 瓦礫が散乱する中に、巨大な影が浮かび上がっている。ヘッドライトが不気味に明滅している。バスだ。バスが壁を突き破って図書室に突っ込んできたのだ。
 しゅたっ、と目の前に細い足が降り立った。
「うふふ〜、愛と吐血と喀血の轢殺系美少女、セラキトハートただいま参上でごわす♪」
 そして周囲を見渡し、
「……惨状なだけに!」
「全っ然上手くねえんだよバカヤロウ! 何やってんのお前何やってんの! なんでバスで突入してくんだよ! どうやって運転してたんだよ! いろいろと意味不明だよ!」
「あらら? 誰かと思えばおマセなおチビちゃんじゃないでごわすか。篤お兄ちゃんのところにいるんじゃなかったでごわすか? いま何年生でごわすか?」
「お前より一年上だよムカつくなオイ! つうか篤のところにいるはずなのはそっちだろ! 何でお前ここにいるんだよ! 篤と決闘してるんじゃねえのか!」
「あぁー、それはあの、すっぽかし……ゲフンゲフン、サボったでごわす」
「そこで言い直す意味が本気でわからねえよ!」
「イチバン大きな敵戦力である諏訪原センパイをウソの約束で遠ざけ、そのスキに任務を達成してしまおうという高度なセンリャクでごわす」
「あー……なるほど」
 バカ正直な篤なら間違いなく引っかかるな。
「ふふ、元気な登場ね、鋼原さん」
 そこへ、藍浬が微笑みながら歩み寄る。
「この惨状を見て元気の一言で片づけるのかよ霧沙希。どれだけ人間がでかいんだよお前は」
「霧沙希センパーイ! ハンカチ洗ってきたでごわすよ〜♪」
 しっぽ振る子犬みたいな勢いで駆け寄る射美。
「はい、どーぞでごわす♪ ピッカピカでごわす♪ 一年生でごわす♪」
「ありがとう。気を使わせちゃったわね」
「そんなことないでごわす〜とんでもないでごわす〜」
 頬に手を当ててくねくねする射美。
 いつの間にかやたらと好感度が上がっている。
「あぁ、かぐわしいユリ科の香りがするね……」
「出てきた第一声がそれかよ」
 どうしようもなく頬がニヤついている謦司郎。
「でもいきなりバスで図書室の壁を壊すのはダメよ? 図書室は静かに使わなくちゃ。みんなビックリしちゃうわ」
「はぁ〜いでごわす!」
「そんなレベルの問題じゃねえ!」
 攻牙のツッコミはスルーされた。
「ところで霧沙希センパイ。今、お時間は大丈夫でごわすか?」
「あら、なにかしら」
「ちょっと射美と一緒に来てほしいでごわす〜」

 ごすっ……と。
 鈍い音がした。


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